大多数の人が不勉強な理由

ネット上で不毛な言い争いを見ていると「勉強してください」「貴方は何も分かっていません」などの言葉をよく見かける。では本当に他人は「不勉強」であるのか。この記事で検討し、貴方の正当性の補完に役立てて貰えれば幸いである。
※この記事は自己研鑽を目的としており、その為恐らく不快に感じる指摘などが多数存在する。良薬は口に苦しの心で読んで貰えると幸いである。

「認知的不協和」という言葉を知っているだろうか。自分の持っている信念や態度に矛盾する情報や行動に直面すると不快感を示すという心理効果である。

そもそも冷静に考えてみればとても簡単で、何故相手のことを知らないのに「不勉強」というような言葉を吐いたか。貴方はただただ理性的ではなく不快を感じたからである。そして自身の行動を正当化する為の最適解が「相手は不勉強である」なのである。心理効果を自覚するのはとても難しく、現にここまで読んでいる貴方も「私は理性的に相手の知識が一定量以下であることを推量し、話すことの無意味さを悟ったのである」と言うであろう。そんなわけが無いのである。何故かを次で語っていこう。

この命題を探るのにとてもおおきいのが「心理的本質主義」である。これはある事柄に対しては変更不可能な性質であると看做すものである。ある種の知的な信仰に近しい。例えば医学を学んだ私の持つ本質主義的な思想であれば「男女差は生物学的なものである」というものである。

貴方は自分の主義主張と反する情報や主張を目にして「不快感を感じており」、自身の心理的本質主義と異なるものであったため自身の所持する知識を疑うこともせず「私の持っている知識は絶対的なもので、それを知らない相手は不勉強である」としているのである。つまり最初から相手の言っていることなど聞いていないのである。何故なら自身の持っている知識を信仰しているからである。

ここまで言っても自分を客観視できない貴方の為に下記に例を記そう。神が広く信仰されていた時代のことである。あるところに地動説を唱えた者がいた。しかしその時代は広く天動説が信じられており、神は我々を世界の中心に据えたとされていた。その中で我々が動いている地動説など一言で言ってしまえば検討の余地もなく有り得ないのである。

我々は何百年も前から本質は殆ど変化していない。時代が神を信仰していれば我々もまた地動説を唱えたものを史実通りにひっ捕らえて処刑していたであろう。しかし現在では地動説が凡そ正しいとされている。そして過去天動説を推奨したもの達は愚か者の烙印を押されることもあるのだ。では貴方はどうすれば愚か者ではなくなるのであろうか。

ひとつは相手の主張を「不快感」ではなく「疑問」に昇華することである。もうひとつはとても難しいが「当たり前を全て疑う」ということだ。私は先で地動説がさも正しいかのように例として説明しているが、天動説の可能性もあるだろう。「何故相手はこの主張をしているのだろう。私の持っている知識と相手の主張する情報や前提は異なっている。不勉強なのは相手ではなく己かもしれない。」と謙虚になるのである。勿論世の中には成果も出さず勉強もしてない愚か者がおり、真に話す価値のない者もいるだろう。しかし、相手の真贋を見抜けなければ今の世の中は確証バイアスとフィルターバブルによって愚か者は愚か者に、賢者は賢者により加速的に進む世界である。一見愚かに見えるものとの会話も、必要経費として換算してみてはいかがだろうか。

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