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考えていたことの記憶を辿る

しょーもないことばかり考えている(主に心配事や妄想など)私ですが、時折、良い閃き(?)を思いついたり、気付いたら論理的に(自認です。)思考に耽っている時があります。すぐ忘れるけれども、note記事に書くことによって、なんとか自分の心の軌跡を残そうとしている私がいます。きっとnote記事を始めたきっかけも、「なんとなく始めた」とか自分の中で言いつつ、そんな単純ではない筈…。

私は難しいことを理解出来ず、そういった事に対しては頭の中で整理不可能なので、分かりやすくゆっくり時間をかけて理解をした後、得意の(恐らくワーキングメモリーで)整理して人に分かりやすく説明出来る人です。その場での瞬時のインプットは難しく、理解するのも遅いけど、そんな感じで私の考えを聞いて(?)いただけると幸いです。

これから話すことは、頭の中で整理できない事柄なので、はちゃめちゃ引力ギャラクシー(ステージ名)かもしれませんがよろしくお願いいたします。

私は近頃、思っていることがあるみたいで。

能力のある人が、生きづらさを抱えているなら、優秀な人材が教育を受ける選択を出来ないのは、経済的に損失なので、助けを差し伸べるべきだという考え。世の中にはあるなぁ…

私たちは、地球という檻にいる限り、自然災害からは逃れられないから、その災害の対処法を探るしか方法がないこと。他の星に引っ越したとしても、何も無い土地に、文明を作るのは人間だから、今の地球と引っ越し先の星での社会は変わらないよなぁ…

自然の摂理だから仕方ないよなぁ…

最近、「憎しみ」や「怒り」の気持ちも大切なのではないかと思うようになったなぁ…

もしかして世の中のきまりは、音楽理論と同じで、既存のものを帰納的に理論化してルールやきまりを作っていったんじゃないか。壊して、また作って、壊して作り直していくのかなぁ…

…きまりやルールこそが、「理性」と「感情」を統制していくのではないか。(結論)

…そこで、「普通はこうする」とか自身の経験に基づいたいわゆる暗黙の了解があるのではないかぁ…?


かぁ…。

何が言いたいのか…整理出来ていません。
現実でもそうなので、困っています…😇

以上です。ᐕ)ノ

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