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城のある風景(清洲城)

弘治元年(1555年)織田信長公が那古野城から入城し、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いに勝利し、清洲から天下統一への第一歩を踏み出した城です。
現在の清洲城天主閣は、平成元年(1989年)に再建されたものです。
「清洲」と「清須」が混在していますが、本来は「清洲町」だったそうですが、2005年の3町合併で「清須町」になったとのことです。今でもこの二つの「きよす」が使われていたりします。
映画にもなった『清須会議』は、「清須」を使っています。
信長亡き後、次の織田家の後継者問題で会議を開いた場所として有名ですね。

北側からみた清洲城
中庭と大手門
信長塀
天守閣からの展望

最寄り駅は、「名鉄名古屋本線・新清洲駅」や「JR清洲駅」ですが、名古屋駅にも近い距離にあります。
この写真は、天守閣から新幹線と五条川にに架かる大手橋です。

大手橋から見る清洲城

この城は、平城です。現在はこじんまりしていますが、信長の時代、清洲城の大改修をし、天守を含めた広さは東西に1.6km、南北には2.8kmと大規模な城だったようです。
「関ケ原の戦い」の際は、福島正則の居城として利用されました。

清洲城解体の廃材は、名古屋城の西北隅櫓となり、清洲櫓(清須櫓)とも呼ばれ、清洲城の天守か小天守を移築したものと伝えられているようです。

きよスポット 清洲城


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