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戦没した大伯父の最期を追う①

大伯父は太平洋戦争で戦死した

私が親類に海軍軍人となり太平洋戦争で戦死した人物が居るという事を知ったのは幼少期の頃に祖母が教えてくれた事がきっかけである。

お兄さんは海軍の兵隊さんで、乗っていた軍艦が沈没し、亡くなった
この一言をきっかけとして、私は大伯父がどのような人物だったのか、どのような軍艦に乗っていたのか、どこで亡くなったのだろうかと興味を抱いた。

残念ながら私が最初に手にした手がかりというのは
•海軍軍人だった
•祖母の兄(私からすると大伯父)
•乗っていた軍艦が沈められ、戦死。

という本当にわずかなモノだった。戦没場所や戦没した日付、享年や氏名など調査をするのには必要不可欠である情報が不足していた。

それでも私は調査を続ける事を決心した。

新たな手がかり

戦死した大伯父の肖像写真

祖母は亡くなる直前に認知症を患い、会話をする事が困難となった。
今となっては他にも聞くべき事が沢山あったのではないかと後悔している。
亡くなってからしばらくして、大叔父(祖母の弟)であれば何か知っているのではないかと考えて話を伺ったが、戦後生まれである大叔父は自分が生まれる前に戦死した大伯父に関しては何も存じていなかった。

次に私は祖母の実家には何か残っているのではないかと考えた。
そして実際に訪問して戦死した大伯父に関して調べているという事を伝えた。
仏間に上がると壁には4、5枚の肖像写真が飾られていた。
その中に海軍の軍服姿の人物が混じっている事を私は見逃さなかった。

結果としてこの訪問で以下の事が判明した。
•大伯父の氏名
•大伯父の肖像写真
•戦没日付及び戦没場所
•享年

私は新たに入手したこれらの手がかりで更に調査を進めていこうと思った。

大伯父は護衛任務中に戦死したのか?

昭和20年1月12日南支那海ニテ戦死 享年29歳
祖母の生家の仏壇に安置されていた位牌から得られた大伯父の情報である。
終戦を迎えた年の初めに南シナ海で戦死したと記されている。

海上で戦死している事から乗艦中に亡くなったのは本当だろうと考えた。
祖母は海軍の専門家ではないので海軍=軍艦に乗って戦死した と考えていたのではないだろうかと思っていたが、この疑念は戦没場所の判明により払拭された。

この時期となると日本の敗色は濃厚になっていて制海権、制空権を損失しており、更に前年10月のレイテ沖海戦で日本海軍は連合国軍に対し大敗を喫し「武蔵」「瑞鶴」など主力艦船を多数損失し、事実上壊滅した。
なので昭和20年1月頃の残存艦艇は僅かであり艦隊決戦は不可能であった。

大伯父は艦隊同士の戦いではなく、輸送船団の護衛中に亡くなったのではないかと私は考えた。

何故「軍歴証明書」を申請しないのか?


親類の軍歴を調査するのには「軍歴証明書」の申請を行うのが定石である。

しかし、今回私が調べている大伯父はあくまでも祖母の兄であり、直接的な関係はない。調査対象が祖父などであれば父や母を説得して軍歴証明書の申請を行うのだが、今回であると従姉妹叔母に軍歴証明書の申請を依頼せねばならない。

一応、従姉妹叔母に大伯父の事を調べている件に関しては伝達済みではあるが、あまり交流のない若造が唐突に「軍歴証明書を申請してくれ」と頼むのは流石に礼節が欠けているだろう。軍歴証明書の申請は、ある程度の情報が判明してから頼んでみようと考えている。

余談であるが軍歴証明書に関しては下記の機関に申請を行えば取得できる。
対象者:海軍軍人•軍属…厚生労働省
対象者:陸軍軍人•軍属…終戦時に本籍を置いていた都道府県の社会福祉課



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