フィリピンで鶏の頭を食った話
今日の記事はゆるーく、思いつくままに汚く書いてみようと思います。毎日難しい言葉ばっかり選んで書いていても、消化に悪いので。
僕、去年フィリピンに行ったんですよ。
フィリピンの食文化は日本のそれと結構違いました。まず、生の新鮮な野菜とかがほとんどないんですよ。大体油っぽいものばっかで。大皿にチキンとご飯と煮つけをのせてそれをフォークとスプーンで食べるんです。確か左手がフォークで右手がスプーンだった気が。最初は馴染めませんでしたが徐々に慣れてくるし、料理も旨いんですよ、これが。
改めて振り返ると和食の健康意識には感心ですね。日本人ってつくづく綺麗好きだよなって。料理は全部違う食器に盛られてるし。でもフィリピンの大雑把な食生活の感じもまんざらではありませんでしたね。
閑話休題、フィリピンって町の広場に屋台がずらーっと並んでるところがあってそこに友達といったんですが、そこに相当な数の鶏肉が並べてある焼き鳥屋さんがあって。そこでフィリピンの友達に冗談で「鳥の頭食べる?」って言われて。正直僕は何も考えずに「うん食べる~」って言ってしまったんですよ。
そしたらあの、鶏の頭が3つも串刺しになったのが出てきたんです。
僕、それ最初でっかい心臓かと思ったんですよ。だって赤いから。でもよくよく見るとちゃんと嘴と目玉があって。
どひゃあと思いながらまずほっぺにかぶりついたら、ちゃんと鶏肉で、目玉を噛むとプチっとはじけて。
可食部は少ないものの結構おいしかったです。
で、ここまで何でつまらん話を綴ってきたかというと、普段当たり前のように切り捨てているものを食べるって勇気がいるけど、それによって命に感謝できる機会が得られるなあと思いまして。
食事のたびに目を背けてきた命、それが一番感じられるのって四肢でも胴体でもなく、やっぱ頭なんですよね。生き物の顔を食べるって、「生」を頂く、って実感があって。この目で世界を見てたのかあと思うとプチっと食感にもうまみが滲み出る感じがするんです。
僕も誰かに食べられるなら頭までしっかり食べてほしい。グロいとか酷いから逃げてた自分に渇を入れられた気がして、むしろ留飲の下がる思いでした。
しみじみとそんなことを思って、フィリピン人の友達に食べたことあるか聞いたら「あんなの食えるわけがない」って言ってましたw。
フィリピンの話のネタは尽きないのでまたいつか今回と同じような内容の記事を書きたいと思います。ではまた。