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X(Twitter)を止めるという選択をした話。

X(ツイッター)をやめた。

そもそもツイッターを始めたのは、好きな作家(万城目学さん)や脚本家(野木亜紀子さん)のつぶやきを見たいからだった。
自分がつぶやくという発想はなくただただ読みたい、それだけだった。
アカウントなしでもつぶやきを見ることはできたが、自分のアカウントページに好きな方々をお招きして(フォローして)、そのつぶやきを眺めていられたら幸せなのではないか、そう妄想した私は、蛮勇を奮って、アカウントを作ってみた。

蛮勇を奮って?
そう、当時高校の教員だった私は、ツイッターでトラブルに見舞われる生徒たちを大勢見てきた。
中には
「❌❌(→私の名前)には負けない」って⭕️⭕️(生徒の名前)がツイートしてましたよ、なんて密告もあった。
私にとって覗いてはいけない恐ろしい世界、だと思っていた。

でもまあ、使い方を間違えなければいいはず、私はただただ読みたいのだ!と自分に言い聞かせてアカウントを作った。

好きな作家、脚本家、俳優、歌い手、好きなテレビドラマをフォローする。
料理家の方の140字レシピもフォロー。
私の知らない世界がそこにはあった。
ただただ楽しかった。

そのうち、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」が始まった。
私は「あまちゃん」以来、久しぶりにハマった。
#あまちゃん、#モネ絵、衣装や小道具の解説をしてくださる方もいて、それまで知らなかった朝ドラの楽しみ方がTwitterの世界にはあった。

帰宅してから、録画しておいた「おかえりモネ」を見て、夜寝る前にツイートを見る、そんな生活をしていたような気がする。#俺たちの菅波 まで現れてネット上も盛り上がる一方だった。

東京編が終わりに近づいた頃、私の気持ちに変化が現れ始めた。
百音がふるさと気仙沼に帰る選択をしたことがきっかけである。

折しも大学定員の23区規制が始まり、地方から東京へ若者が流出するのを食い止めようという政策が始まっていた。
地方ではいかに若者を地元に定着させるかが議論される。

百音の選択が物語世界の必然というより、こういう空気感の中にあるもののような気がして、気持ちが悪かった。

ああそういえば、かつて「ちりとてちん」(2007年後半)を夢中で見ていたのに、最後の最後に落語家を引退してお母ちゃんになる、と主人公に言ったときも感じた違和感。
ああ結局、この国では、女はお母ちゃんになり、地方出身者は地方に戻ることを良しとされてしまうのか、という絶望。

私自身、地方から首都圏の大学に進学、泣く泣く故郷に戻って就職したという経験がある。
結婚して、子供を産み、育休明けに職場復帰したら、
「あなたを見ていると可哀想になる」
とおじさま教員から言われたこともあった。
そんな恨みつらみも、自分の気持ちを増幅させていったのだろう。

私は#反省会を覗きにいくようになっていた。
自分と同じようなツイートを見つけてはいいねを押した。
そのうち自分でもつぶやくようになった。
いいねがついたり、コメントをもらったりした。気持ちが良かった。

可愛さ余って憎さ百倍。
気がつけば、どっぷり#おかえりモネ反省会の住人になっていた。
あんなに楽しいと思えたツイッターの世界は、自分の心のどす黒さを映し出す鏡のような世界へと変わっていた。
不満が募っていく。どんどん薄暗いほうへ心が沈んでいく。

反省会の住人になって、1ヶ月ほどで「おかえりモネ」は最終回を迎えた。
ほっとした。
何度かコメントを交換していた人のアカウントが丸ごと消えていた。
ああここはそういう世界なのか。
いっときの不平・不満を言い合って、さよならするところだったのか。

私の手に負える世界ではないな、と思った。
もう自分の心を暗いほうへと自ら追いやるのはやめよう、と思った。

全てのツイートを消して、ツイッターを開くのをやめた。
スマホの画面から青い鳥が飛び去って、黒い物体が現れた時、これが潮時だと思ってアカウントを削除した。

パリ五輪をめぐって、またもやSNS上の誹謗中傷が問題となっている。
きっと、あの頃の私のように、小さな不満を吐き捨てるように言葉に載せているのだろう。

その言葉を吐く自分の醜さに、どうやったら気づくことができるのか。

noteに記事を書くようになってから、X(ツイッター)と連携したらもっと読んでもらえるのか、などと思うこともある。
でも、私はもうX(ツイッター)はしないと決めた。

不平、不満に心を乗っ取られるのはもうまっぴらごめんだ。


#自分で選んでよかったこと


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