言語は二の次、気にしない。
こんにちは。横溝です。
先月オーストラリアからの留学生との交流が高校でありました。私は留学生のバディ。一緒に授業を受けたり、弁当を食べたり案内をしたりする役割でした。
息を飲み、留学生達が集まっている教室に入る。
周りの生徒が言います。
「これが国際交流か!」「めっちゃ外見綺麗でうちらと違うね〜」「先生全部英語で喋っているけれど、私大丈夫かな....」
そんな中、私。
「懐かしい〜〜!」
隣の子が驚いていました笑 無理もありません。
こう言った理由は後ほど。(ちなみに海外に行ったことはありません。ホストファミリー経験も無いです。)
そして留学生の女の子と数日間の交流を深めていき、こう思いました。
思ったより大丈夫だな って。
というかオーストラリアの方と関わるのがこれだけではないんですよね。
私はオーストラリアに別の知り合いが数人おります。母は若い頃、オーストラリアに留学していたことがあり、そこでのホストファミリーとは今でも親しくしています。特にCさんという年配男性の人が1番好きです!私が物心がついた時から日本に観光しに来て一緒に遊んでくれました。彼らが日本に遊びに来た時や、その方と一緒に過ごした時間は、私にとって特別なものです。
このように外交的な場面や異文化交流も基本平気なんですよ。
ですが実は私、英語が全く得意ではありません。
(こないだの模試で英語で偏差値40叩き出して母にめちゃ驚愕され怒られました^^;国語で70近くいったので何とか;)
でも、留学生や一家と交流してみると、やはり思ったよりも大丈夫でした。
何故なら私は....
約12年間、日本語があまり得意ではなく、主にポルトガル語で話している友達も多い状況の中育ってきましたから。
私の保育園.小学校はちょっと特別な環境でした。生徒の7割が外国籍でして。ブラジルを初めとして様々な国籍の友達が大勢いました。保育園では男子で同学年の日本国籍の子は1人....だけだったような??
一応言っておくとインターナショナルスクールでは無いですね。英語は私生活で使ったこと一度も無かったので。飛び交う言語は人数的に基本日本語かポルトガル語かタガログ語ですね。
まぁ、当時はそれが当たり前で、「外国籍の友達がいること」について特に意識することはありませんでした。ただ、毎日彼らと一緒に遊んだり学んだりするのが日常。高校生になって初めて他国籍の人が稀有な存在なんだなと思いました。
言葉が完璧に通じなくても、笑い合ったり、共に遊び、支え合ったりする中で、深い友情が生まれていったんです。
と言うよりも、3歳の頃から友人として遊んでいるのですから、言語・国籍・外見の特徴が違うということに恐れを抱く意識はないと思いますね。
皆んな等しく仲間ですから。
詳しくは、下記の記事をご覧いただければ幸いです。少し口調強めですが小学校での具体例や思いを綴っているので、興味を持った方は是非見て欲しいです。
だから、英語があまり話せなくても「きっとなんとかなる」という自信が自然とついていたのかもしれません。
私はポルトガル語は文法も発音も分かりませんが、それに比べれば英語は義務教育で習うため多少は出来る!!と安心していました。
むしろ、中学校で英語を学び始めてからの方が会話するのが難しくなりました。相手に文法がちゃんと通じているのか、失礼な言い回しになっていないかを気にしてしまいます。そんな文法や正しい表現を意識するあまり、以前のように自然にコミュニケーションを取れず、少しぎこちなくなってしまったんです。
あまり言葉にとらわれずに気持ちを伝えようとしていた頃の方が、スムーズに交流できていた気がします。
言語の壁を超えるためには、完璧な語力能力が必ずしも必要なわけではないんです。むしろ、大切なのはお互いに理解しようとする気持ち。
口頭でありネイティブでないのであれば相手方も、表現に対して不満を持つことはさほどありません。人が見るのは自身に対する態度です。真摯に向き合い、コミュニケーションをしようと試みていることが相手に伝わる。それさえあれば、言葉が多少不自由でも、きちんと交流できるんですよ。
ただ私も英語については上達させないとなと思いました💦授業などの情報を伝えるのにはやはり多くの英語の語彙が必須ですね。
コミュニケーションには言語はあまり不要だと思いますが、細やかな情報を伝え受け取るのには必要です。
結論として、皆さんに伝えたいのは国際交流や異文化理解は、言葉のハードルをあまり気にしすぎないで楽しんでほしいということです。言語や文化が異なっていても、共通の感情や思いは必ずあります。
そして「国は国、人は人」
私は日本という文化も環境も素晴らしい国に生まれて、自国に誇りを持っています。ですけれど、全ての日本人がいいとも思っていません。どの国に対しても同じです。
悪人がいれば、善人もいる。色んな背景を持った人々が在る。
大事なのは人と関わる時、大衆ではなく、その人自身と向き合うことです。その人が合わぬのであればそれでいいです。私もこの人とは合わないと思うことはありますから。でも私はその方との付き合いひとつで、他の人を国という1括りの環境で判断しては欲しくないなと思います。この世の中は色んな人が存在していますから、その数だけ多様な性格や考え,優しさがありますので。
少し勇気を持って、違う文化に触れてみてください。きっと、そこには新しい発見や、予想もしなかった楽しさが待っているはずです。私のように人生の澪標となるような信念を抱くことも?
少しでも気になるようでしたら行動してみてましょう。貴方も、勿論私も。
さて、此度はここまでといたしましょう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
拙いながらも、私の文が皆様の心に何かしら響くものがございましたら幸いです。
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次なる記事にて、再びお目にかかれることを願います。それでは、またの機会に。
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