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学校体育は公開処刑!?


学校体育について日々勉強、研究している身としては過去に受けた体育の教育について思い返すことがある。

今思えば、
「あの先生の教え方よかったな」や「あの授業みんなが楽しんでやっていたな」など色々と考える。


しかしその一方でネガティブなことを考えることがある。

それは、
正直、「学校体育は後悔処刑ではないか?」と言うことだ。正確に言うと、評価もその過程(練習)も丸見えではないかということである。

他の教科と比べたときに座学がメインのものは基本的に席に1人で座り一つの黒板のものを見て自分だけのノートなどに書き込み勉強する。(過程)
そして、テストは各個人で答案用紙が返却され友達と見せ合いしてもよし、見せずに嘘の点数を言ってもよし。(評価)
そんな本来の姿がお互いに見えない仕組みになっている。

しかしその部分の懸念点もたくさんあるが今回は割愛させてもらう。


本題は体育である。
体育は基本的に全員でグランドやコート等に集まり競技の練習を行い試合などで評価される場合もあれば、一人ひとりテストを先生の前で行い評価されるといったものだろう。(実質生徒たちの前でもある)


そんな在り方に対して体育が苦手な人や嫌いな人は、自尊心が傷つけられ、ますます体育嫌いになっていくであろう。

学校体育は他の教科と比べ教科書や模範となるものがほとんどないため教師の力量が求められる。

評価の仕方や練習の仕方も児童生徒みんなで行うメリットはたくさんあるが全員が全員メリットだらけではないことも承知の上で授業づくりや評価の仕方などを検討していかなければならない。


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