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飼い犬代表者会議

 梅雨明けも間近の雨上がりの午後、教室は開け放した窓から涼しい風が吹き込んでさわやかな空気だった。

 保護者の参観と担任とのクラス懇談会は午前中で終わり、教室には女子サッカー部の保護者の人たちが数人集まって、部活動顧問の先生が来るのを静かに待っていた。
 にこやかで、物腰のやわらかい人が、保護者のための事務連絡を告げると、あとは顧問の挨拶だけになったようだが、先生がなかなか来ない。雨上がりの空は明るくなり、日差しも強さを増しているが、教室の中は涼しく心地よい風が吹いている。
 私とF美は、学食で昼食を済ませ、教室で親たちの会が終わるのを待っている。先生が、三年生担任で個人懇談があるので、今日の部活は中止になったのだった。

 学食で大盛ランチを食べたF美は教室の椅子でふんぞり返ってお腹を擦っている。私もお腹が満ちて、机に臥せて窓からの涼しい風を受けていると、強い睡魔が襲って来る。

「会議を始めます。議題を何かお持ちの方はどうぞご発言ください。」

 厳かな声がして、顔を上げると、教卓には、見慣れないちんまりした犬が居た。パグである。小さな体で精一杯に背伸びして、難しい顔で、日本語を喋っている。
「時間が勿体ないので、早急に議論に入りたいと思います。何かご意見ある方はおられませんか。」
 驚いて辺りを見回すと、教室の中は犬だけであった。しかも、当たり前のように教室の椅子に後ろ足を投げ出して座っており、黙って教卓のパグ犬の方を凝視している。まるで真面目に授業を受けている生徒の様にだ。
 前の方には白くてふわふわした毛並みのポメラニアン、フレンチブルドッグ、雑種犬らしき犬など、皆顔つきは真剣で、議長らしきパグの方を見ている。
「おい、何もないってことはないだろ。みんな意見を出し合おうや。ここは問題解決のための場だよ。」
 白ポメが言った。意外にも、男前な発言。
「ここに来るような連中は、日ごろの生活に不満を持ってるようなヤツが少ないからな。何か自分が見聞きした、ほかの犬の困った話でもいいんだよ。」
 黒いぶちのある雑種のような犬が言った。この子もお利巧そうだ。
 その時、私は席に座っている机の上に置かれた私の手が、柴犬のそれになっていることに気づいた。私は、芝犬になっているぅぅ!



 誰からも意見が出ないでいると、フレンチブルドッグが言った。
「私が一つ、三丁目のラブラドール犬のネロの事だが、毎日家のおじいさんと川の土手をお散歩をしている。しかしおじいさんは足が悪くてとてもゆっくり歩くので、自動車が来た時などとても危険だ。ネロがわざと立ち止まって、おじいさんの歩きをコントロールしたりしている。おじいさんは一人暮らしだが、そのうちに施設へ行ってしまうのではないか。一人暮らしが困難だろう。そうすると、ネロの存在はどうなってしまうかという問題がある。」
 白いポメラニアンが言った。
「俺も、見たことあるよ。じいさんが、道路を横断しようとするのを、ネロが引き留めていたよ。車が来るのに気づかずにいたからね。」
 じっとしているのが困難になって来たらしく、後ろの方に座っていたビーグル犬が、落ち着きなく体を揺らしながら、言った。
「ね、ネロ氏はあの家のおじいさんの安全のために、相当な神経を使わされている、こ、これは動物虐待に値するっ。」
 ビーグルは自分の言った事に興奮し過ぎたように、椅子から転がり下りて体を捩った。そのまま、しっぽをブンブンさせ、机の間でぐるぐると回って見せたりした。興奮した犬の衝動的行動に見える。
 ほかの犬たちはビーグルの行動は、気にも留めない様子だった。
 パグ犬は、少し間を置いて、落ち着いた様子で言った。
「いや、ネロは、忠誠心を持って、あのおじいさんの面倒を見ている。おじいさんを危険から守ることが、自分の使命だと分かっている。」
 黒ぶちの雑種が言った。
「二人は、お互いを必要とし合っているんだ。生活上必要なパートナーと言うだけで、ヒト対動物って言う、安直な関係性で量ってはいけない。」
「ネロの奴もまあまあ年がいっているからなあ。耄碌してしまうと、二人ともが危ないぜ。」
 ちょっと口調が強めの、ポメラニアンが言った。愛くるしい顔に似合わず、といった感じだ。
「ともかく、朝に土手をお散歩する犬達には情報共有をお願いする。おじいさんと、ネロの安全保持を、見守って行くように。二人ともそろそろ耄碌している。」
 パグがまとめると、犬達は同意した、というような顔で黙って頷いた。

「ちょ、ちょっと待って。」
 窓辺に腰掛けていた、白い雑種犬が言った。
「ラブラドール犬、俺はあいつはダメだよ。昔あいつに、いじめられたことがあるなあ、今、思い出したよ。散歩中に吠え掛かられて怖くて尻尾を巻いて逃げ出したよ。あいつは悪ふざけが過ぎる奴だ。」
 この子も急に、興奮状態になったようで、ばたばたと机から降りて辺りをうろつき始めた。口を開けて、涎を垂らしている。
「雪丸は保護犬だから、気が小さいんだな。ネロは、人懐こくて、すぐにほかの犬とも遊びたがるんだ。爺さんが元気だった頃は、ほかの犬に絡んで遊ぶのが大好きだったからね。今はそうはいかないよ。」
 ポメラニアンが冷静な様子で言った。
「そ、そうか。む、昔のことか。」
 雪丸という雑種犬は納得したが、興奮を納めきれない様子で教室内を行ったり来たりし続けた。
 不穏な生徒が二人に増えて、教室内は少し落ち着かない雰囲気になった。
 
「じゃ、そう言う事だな。ネロは、おじいさんのために五感を働かせて危険を察知するよう努めてはいるが、元々遊び好きで、落ち着きない性質のようだ。みんな散歩中はネロの邪魔をしない様に、集中してやれるように見守ってやってくれ。ほかの犬にも伝えてくれ。」
 パグは早口で言った。
「最近はマーキング時に水をかけてマーキングを消されるので、新入りとか新しく入って来た子犬の存在が分かりづらい。見かけたら、連携をとっていることを伝えてほしい。そしてこちらにも、新入りの紹介をお願いする。犬界は連携し、助け合っていく。こういった場を借りて、代表者会議が存在する。意見があったり、困りごとがあったりしたら放って置かないように。」
 フレンチブルドッグが補足した。
「俺達は小さな存在で何もできない、しかし、情報を得て、連携して問題に当たる事が自助努力だ。何でも話し合おう。」
「ところで、シバコ、今日は無口だなあ。」
「そうだな、シバコ、何かあるかい。」
 急に、全ての犬たちがこっちを向いて、私の方を見た。
 私は何かあるような気がして懸命に考えたが、咄嗟に思いつくはずもない。

「ふがあっ。」
 私は、自分の声で目を覚ました。
 教室の中は、保護者の方々の空々しい笑いに包まれた。
「すっ、すいません。」
 さっき落ち着きのないビーグル犬の居た席には母が座っていた。ゆでだこみたいに真っ赤な顔をして、ほかの人にペコペコ謝っている。私の手は、柴犬の手でなく人間の手に戻っていた。
「それじゃあ、これで部活動の会議を終わります。皆さまご苦労様でした。」
 パグでなく、顧問の先生が教卓の上から、私の方を見て笑った。

 夢だったか。

「もう、あんたが教室で寝てしまったから、お母さんとてもはずかしいっ。
女子サッカー部のお母さんたちって、全員おっとりしてお上品な方ばかりで緊張したわ。」
 母は必要以上にそわそわして落ち着きが無かった。まるであのビーグル犬と同じで、私は心の中でくすっとしたけれど何か、笑えなかった。
 家までの歩いての帰り道、近所の奥さんが犬の散歩に出掛けるところだった。まだ日が高く、道路が熱いせいか、犬は気が乗らないようでのろのろしていた。
「シバコ、お散歩行くわよ。」
 奥さんが促した。ちょっと困った顔みたいな、柴犬がこっちを見て、目が合った。
 まるで夢とは思えないような、存在感の強い、白昼夢だった。

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