子ども支援ボランティアに参加する前に「子どもを支援したい」と思うに至った自分と真剣に向き合う
こんにちは、急に涼しくなってきましたね。
今日は、私が来月から始めるボランティアについて、考えていることをまとめておこうと思います。
この記事には、参加を決めたきっかけをメインに書きます。どんな風に子どもと接して、何を達成したいかとかは追々書いていこうかと。
自分の考えがボランティアを通じて変化していく様子を記録しておきたく、願わくば誰かのお役に立てたらいいな、なんて考えています。
どんなボランティアか
私が参加させていただくのは、「子どもの居場所をつくる」ボランティアです。学校になじめない児童や、家庭環境が複雑で家も安心できる場所とはいえない子に対して、安心して過ごせる場所を提供するようなイメージでしょうか。
子どもの年齢は様々ですが、私が参加する場所には高校生のみが来るようです。つい最近まで私も高校生だった気がするけど、冷静に考えたら7年も前だ…。
そこで結局何をするんだいという話ですが、何でもするし何もしない、というのが答えでしょうか。相談相手になったり、一緒に遊んだり、勉強したり、担当する子に寄り添って何でもさせていただきます。一方で、このカリキュラムを進める、といった絶対的な決まりはなく、特別何かを達成するわけではありません。
ただ、ここで書いているのは、団体から受けたご説明と、私の想像にすぎないので、実際にやってみると全然違うなんてこともあるかと思います。
ボランティアに参加しようと思ったきっかけ
私が参加しようと思ったきっかけは、3つあります。(面接でも同じことを話した)
自分は一人ではここまで来れなかったという自覚(高校時代)
1つ目は、周囲の助けなしには、今の自分はないという自覚です。これまで多くの方々に支えられたからこそ、私も誰かにとってそんな存在になりたいのです。
周りへの感謝は人生のどんなときも感じることですが、特に高校時代に強烈に感じていました。(今もしみじみ周りの方々のありがたみは感じます!)
私は地方で生まれ育ち、東京の大学へ進学しましたが、思い返しても受験の情報格差みたいなものは歴然としていました。また、塾に通うこともできなかったので、高校の授業と自学で受験勉強に励むほかありません。(当時はYouTubeの学習コンテンツもそこまで充実していなかった)
そんな中、志望校に合格できたのは、先生方や家族や友人のおかげです。「こんな素晴らしい環境で勉強させてもらえるの幸せすぎる…」と毎日思っていた記憶があります。
そして、大学から上京するという選択が、その後の人生にも大きな影響をもたらしてくれたなと思います。東京がいい街というより、それまでとは全く違う環境に身を置くという経験が、自分の世界をカラフルに彩ってくれた感覚があるのです。(地元も地元の友人も大好きよ~!)
説明が長引きましたが、たくさんの方々に支えられて生きてこられたからこそ、私も子どもに何かしらお力添えさせていただきたいと思っています。
なんとも綺麗ごとだなと思う方もいるでしょうし、私も10年後に読み返したら「若いな~」なんて思う可能性もありますが、それでも今思っていることを書き留めておきたいもので。
東京で感じた経験格差(大学1年生)
2つ目は、上京して実感した経験格差です。
先述の通り、私は大学進学を機に田舎から東京へと進出しました。
「なんか東京の人って怖いな~」
「電車ってどうやって乗るんだろう」
慌てふためく日々が続く中、ショッキングな事実に気づきます。
「同級生たちの教養の深さとんでもないや」
「英語話せる人多すぎ!海外旅行いったことのある人多すぎ!」
世の中には、同じ年齢であっても人生経験がこんなに違う人がいる、ということに気づいたわけです。木登り、竹馬、虫取りだったら私も負けないのにな~。
そういうわけで、自分の無知や経験値の低さにコンプレックスを抱くようになったのです。
今なら、「劣等感を持つ必要ないのよ~、あなたも素敵よ~」と言えるのだけど、当時は心に余裕がなかったな。
同時に、経験の豊富さが人生の選択肢を豊富にすることにも気づき、子どもたちが様々な経験を積めるようお力添えさせていただきたいと思うに至りました。
ものによっては経済力が経験値を左右する場合もありますが(海外旅行とか)、そうでない経験もたくさんあるし、やりたいことは何でもやってみよう精神の種まきができたらいいなと思っています。
家庭の事情で進路を諦めた友人との出会い(社会人1年目)
3つ目は、これまたショッキングな事実との出会いです。
社会人1年目でできた友人と話す中で、彼女が家庭の事情でかつて志望校を変更していたことを知りました。
現在その方は凛々しく社会人をやっていますし(社会人をやるってなんだ)、この大学に入ることが正解なんてありませんが、ほのかに悔しさが残っていることを会話から感じ取りました。
挑戦したけど実らなかった悔しさより、挑戦さえできなかった悔しさのほうが後を引くのかもしれません。
ポジティブな彼女はそれすらも力に変えて、すくすく育っている(誰目線)けど、もし今何かに挑戦したいけど諦めようとしている子がいたら、お力添えさせていただきたいと思います。
一見無理に思えることも他にやり方はあるかもしれないし、一緒に挑戦の手段を探すお手伝いをしていけたら、このうえない幸せでございます。
子どものためというより、自分のためかもしれない
ボランティアに参加する理由を整理してみて思ったのは、これって私のためじゃないか、ということです。
未熟な私が「子どもを支援する」なんて、おこがましいのではないか、自分の経験から醸成された想いを無関係な子どもに投影しようとしていないか、とか考えてしまいがちな私です。
でもまあ、それでいいよな。
子どもに豊かな人生を歩んでほしいという勝手な気持ちを、素直にぶつけていいよな。(今さらだけど、ここでいう子どもとは、18歳以下という年齢で区切った対象です。捉え方によっては、世の中全員子ども、とも言えちゃうので、最後にはっきりさせておく。)
ということで、ゆったりとした気持ちで、自分のため論も肯定しようと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!