見出し画像

小説 イシヤの夕暮れ5

冬来る。熊本の冬は湿度の影響か頗る寒い。雪か霙(みぞれ)かはたまた霧なのか、身体にまとわりつくタイプの水分が身体を覆ったような寒さである。

そして南阿蘇にも冬来る。
恋の季節は冬ではないけど、僕は、あの声に恋をしてしまったらしい。
そして恐らくその声の主はここにいる。
《わたしはここよ、あなたはわたし、わたしはあなた》その声は墓石を通して聴こえてくるのだが、ここまで強く感じたのは始めてだった。

南阿蘇は、阿蘇カルデラの南部、阿蘇五岳と外輪山に挟まれた南郷谷に位置する。
熊本地震はここにも驚異を与えた。
市内と南阿蘇を繋ぐ阿蘇大橋は崩れ、家屋は多大なる損害にあった。住民は先進農家で若い人達が多かった。しかし地盤は崩れ、農家は壊滅的状態に陥った。
散り散りに避難していく人達や離農に追い込まれる農家がいた。
絶望して首を吊ったり、地震のストレスで鬱病になる人達も増えた。

そのような中、墓のリフォームを頼む人達がいることに驚きだが、僕達は導かれてやってきた。やはり日本人の心の深層には、まだアミニズム的宗教感が残っているのかもしれない。今現代人は過剰に宗教やオカルトを嫌う傾向あるが、自分の大切な人が他界したり、自分自身も死の危険や病気、怪我に遭えば精神的なゆとりを求めるものだ。
日本の墓石文化は、死んでいった大切な人達と今生きている人達を繋ぐ、限りなく少なくなった生命のバトンをふと思い出させてくれる、魂の博物館のようなとこなのかもしれない。

その墓石リフォームを頼んだ人も面白い人である。百姓一揆の研究家で南阿蘇に有機農業を広めるユキさんという女性リーダーがその人だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?