詩 補助輪を外して
おとなが補助輪を外した自転車なら、その車輪で遠くの町街を巡ることになるだろう。
一期一会の淡い出逢い、旨い酒とご当地グルメ、灼熱の太陽とビーチ、ホワイトアウトした冬の山道、どこまでもどこまでも知らない世界を旅人は寄り道しながら前進する。
そしてある日タイヤがパンクして、立ち止まりふとふりかえる。
地平線から吹かれる、ふるさとの風を感じて。
補助輪付きだったわたくしは、支えなしには進めなかった。父の大きな手、心配見守る母の瞳、共に学び合った兄弟、ばか騒ぎして過ごした親友たち、今は遠い過去の記憶。
車輪を逆回転しても、あとには戻れない。
それは蜃気楼より薄く、証明することも難解な人生パズルの一片としてひっそりと残る。
あの補助輪はどこにいったのだろう。
なぜ前進しているのだろう。
この脚は語らない、走るのはこころ。
細胞は7年で全て入れ替わる、と言われる。
つまり今の自分は全く別人の姿ともいえる。
そうしてパンク修理も終わり走り出す。
いつか補助輪付きの老人になるかもしれない。
その時はもう一度立ち止まり補助輪付きの詩作を唄ってみたいものである。