倫理について1
「夕焼け」 吉野弘
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて-。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
私は吉野弘さんの詩が大好きだ。
しかしこの詩に出逢ってから、本当の優しさについて、モラルについて、愛について考え続けている。
この世界を戦場として例える人がいて、私たちは戦う為に毎日努力を強いられるらしい。
その弱肉強食の原理に、「力」という無条件の秩序が存在する。
力が支配する世界には、官僚や政治家、大企業の経営者、株主、資産家等がいる。また、知的な専門職、大学教授、医師、弁護士、公認会計士。スポーツや芸術の才能がある存在も「力」の原理は無視出来ない。
ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)は、倫理的な考え方について、自然との調和や人間の内面的な成長、美に対する感受性が強調されている。
1. 自然との調和
ゲーテは、自然と人間の関係を非常に重視しました。彼の著作の中には、人間は自然の一部であり、自然と調和して生きることが倫理的であるという考え方が表れる。
2. 内面的な成長
彼は、個人の道徳的成長や自己実現を重要視した。ゲーテの作品に登場する多くのキャラクターは、自己探求や倫理的選択を通じて成長する過程を描いている。特に『ファウスト』では、主人公が道徳的ジレンマに直面し、自己の欲望と倫理的義務の間で葛藤する様子が描かれている。
3. 美と真実
ゲーテにとって、美は倫理的な価値の一部であり、真実と結びついている。彼は、美を追求することが人間の倫理的な営みの一部であり、芸術が人間の理解を深めたり、感情を豊かにしたりする手段であると考えていた。
4. 社会的責任
ゲーテは、個人の自由と社会への責任のバランスを取ることの重要性を認識していた。彼は、個人が社会に対してどのように責任を持つべきかを考察し、倫理的な行動が社会全体に良い影響を与えると信じていた。
ゲーテの倫理に関する考え方は、彼の文学作品や哲学に深く根付いており、今日でも広く評価されている。彼の思想は、人間の存在や倫理についての探求を促し、多くの人々に影響を与え続けている。
現代人にとって倫理観は、能力主義の対局に存在している要素である。また必要な時にパフォーマンスとして使用する道具化している。資本主義社会で勝ち負けの悲惨な戦争を繰り返すのが、我々の現実であることは最大の悲劇である。
ゲーテがいう倫理的定義を現代に置き換えれば、1、環境問題への倫理的向き合い。2.生涯学習と自己成長に向けての倫理的視点。3.家庭と余暇(芸術、スポーツ、趣味、娯楽、感動等々)を大切にして、人生の余白を作る倫理的基盤の獲得。4.経済戦争に一縷の倫理行動、を挙げたい。
戦争や格差社会、闇バイトや芸能界の性トラブルが問題視されている。これは全て人災であり、能力主義(力への原理)へのアンチテーゼである。
ある側面では、環境問題からくる大震災やそれを解決するかもしれないテクノロジーの発展が止まない。それを生かすも殺すも人類である。その片隅に「夕焼け」は存在する。
思いやりは最大の知能行動である。
利己主義が人災を起こすなら、利他主義が世界を幸福にする鍵かもしれない。
文化人類では、それを「類化性能」という。
ホモサピエンスが原始人から、縄文時代を築いのは「思いやり」、つまり倫理観があったからだ。
その後、農耕社会の発展から格差が広がり、社会が戦争状態に突入した。その反動で宗教が創造され、倫理観を担っていた。
これからは全ての人が仏陀にならなければならない。「夕焼け」の結末をどう考えれば良いか?地球の裏側で貧困に死んでいく小さい命に向けて、下唇を噛んで、辛い気持ちで、いつか綺麗な夕焼けを見れるまで問い続けていきたい。