「ミラベルと魔法だらけの家」「雨に唄えば」そして宝塚歌劇団から見る"いままで続いてきたもの"へのまなざし
はじめに
先日、ディズニー・オン・クラシックを鑑賞しました。蒸気船ウィリーからいままでの作品を追ってディズニーの100年を振り返る第一部と、「美女と野獣」のナンバーを順番に楽しむ形式の第二部で構成されるコンサートでした。ブロードウェイで活躍するシンガーの歌唱を堪能でき、豪華なプログラムでした。ほぼ全ての曲に馴染みがあったのですが、第一部のクライマックスで歌われた「ミラベルと魔法だらけの家」からの「秘密のブルーノ」という曲を知りませんでした。出演していた8人のシンガー全員が揃い、会場もかなり盛り上がっていたので、とても気になって帰ってすぐにこの作品を視聴しました。
少し前に、視聴者の投票によって選ばれたディズニー作品が4週連続で金曜ロードショーにて放映されました。選ばれた4作品は、「美女と野獣」や「アナと雪の女王」といった、選ばれなくても放映される機会の多い定番人気作ではなく、熱心なファンがこの機会を逃すわけにはいかぬ!日本国民よこれを見よ!!と血眼で投票したんじゃないかと想像してしまうようなラインナップでしたが、そのなかにこちらの「ミラベルと魔法だらけの家」も選ばれていました。
こちらの作品を見て、予想外にいろいろなことに思いを馳せてしまったので感想を書いていきたいと思います。
さすが、熱い投票で金曜ロードショー放映作に選ばれるだけあって、愛される要素がてんこ盛りでした。ディズニーオンクラシックで披露される人気ナンバーがあり、カラフルな映像の楽しさもあり、パークのハロウィンで仮装をしたくなる個性的なキャラあり……といった感じです。しかし、なんといってもこの作品の魅力は、子どもを連れて見に行ったらひっくり返ってしまいそうなリアルで重たい設定のストーリーでしょう。それでいて、ヴィランがいない大変珍しいタイプのディズニー映画なのです。
ミラベルのおばあちゃんとリナ・ラモント
私は、魔法の蝋燭と一族を守り続けようとするおばあちゃんを、「雨に唄えば」の登場人物、リナ・ラモントに重ねてしまいました。「雨に唄えば」はミュージカル映画の金字塔で、ショーとして大変楽しい場面の多い作品ですが、私は少しこの映画が苦手です。パフォーマンスや名曲をめあてにミュージカルの来日公演に足を運んだりもしたのですが、リナへの仕打ちにどうしても心が痛んでしまうのです。
リナは、サイレント映画の時代のスターでしたが、時代はトーキー映画を迎え、悪声のリナはその立場を追われていきます。なんとか立場を守ろうとする彼女がヒロインのキャシーや主人公のドンを困らせていくのですが、リナがヴィランのような扱いをされて最後には陥れられて立場を追われるのが個人的にはかなり苦手です。
今まで求められなかったものを急に求められて立場を追われる人は昨今たくさんいます。当然、時代に適用する努力はありとあらゆる立場の人に必要です。たとえば「昔はよかった」「昔はこんなの普通だった」と言いながらセクハラやパワハラをする地位のある人には多くの人が苦しめられています。一方で、セクハラやパワハラを「昔はよくて今はダメなこと」だと思っている人に対して「それは誤解」だと指摘してくれる存在や機会は非常に少ないのだと思います。
セクハラやパワハラは突然ダメになったものではありません。昔からセクハラやパワハラはあり、多くの人々が苦しめられてきました。その苦しみに世間の注目が集まり、「セクハラ」や「パワハラ」という名前が付けられ、みんなでそれをなくしていこうという動きが生まれました。その動きに気づけないほど当たり前に「セクハラ」や「パワハラ」とされる行動が幅を利かせていた時代を生きた人が世の中にはたくさんいるのです。
セクハラやパワハラとされる行為を認識できずやってしまい立場を失った人、と言われるとあまり共感できないし、自業自得では?と思ってしまいます。一方で、「雨に唄えば」をはじめて見たとき、これらの人々はまるでリナだと思いました。まっっったく当該人物に同情はできないですし、リナの生まれ持った声とパワハラやセクハラに対するスタンスという後から認識を変える努力が出来るものでは状況が異なるのですが、ちょうど私が「雨に唄えば」にはじめて触れたのが森元首相がオリンピック組織委員会から降ろされた時期だったこともありました。だれも彼に、時代の変化や彼には見えないものの存在を教えてくれなかったのだろうな、と思うと少し苦い気持ちになりました。昨日まで求められたことがないことを突然やれと言われてうまく出来ず変化を恐れるリナを見て、それと同じようなかたちで立場を失っていく人の存在を感じさせられるため、私にとって「雨に唄えば」はあまり楽しく見れない作品です。年代やパワーバランスを超えたコミュニケーションって、どうやったらいいんでしょうね……
さて、「ミラベルと魔法だらけの家」に話を戻します。なにも、ミラベルのおばあちゃんはパワハラをするキャラクターではないのですが、これまで守ってきたものを守り続けようとして、ミラベルが発見した家の亀裂の話を遮ります。ミラベルは、家長であり奇跡を授かった本人であるおばあちゃんに、家族のメンバーの中ではじめて「あなたは魔法を守ることに必死になりすぎて家族ひとりひとりの苦しみに目をむけていない」「あなた自身が崩壊の原因だ」という事実を突きつけます。家族のメンバーたちにはミラベル自身が家の崩壊の原因だと思われている中で、姉たちの悩みに気づき、もしかしたら全員を敵に回すかもしれない発言を勇気を振り絞ってするのです。
ミラベルが指摘した次の瞬間、家中に亀裂が入り家は崩壊していきます。自分のせいだと思い込んで家族の元から逃げたミラベルは、おばあちゃんに見つかり、おばあちゃんから謝罪をうけるのです。
マドリガル家と宝塚歌劇団
私は宝塚歌劇団の大ファンです。前述した「雨に唄えば」も、実は珠城りょうさん、美園さくらさんらによる月組公演の映像を最初に見てから映画や来日公演を見ました。そして、「ミラベルと魔法だらけの家」を見ながら、昨今問題視され議論を読んでいる宝塚歌劇団の抱える軋轢とミラベルの家族マドリガル家のことも重ねてしまいました。
先人の素晴らしい努力とときどきの幸運によって110年続いてきた宝塚歌劇団の伝統は、数年から十数年の自分自身の現役時代を生きる1人のタカラジェンヌにとって、まるでマドリガル家のようなものでしょう。みんなが今まで守ってきた魔法の力を持つ家族としての役割。自分は力を持つ家族の一員として一体何ができるのか……。
ルイーサのようにプレッシャーに悩んで力を出せなくなったり、アントニオのように魔法の力を持つ一員になることを怖がったり、イザベラのように完璧に役割を果たすべく自分を押し込めたり、ブルーノのように素晴らしい力を持っているにも関わらずうまく発揮する機会に恵まれずつらい思いをしたタカラジェンヌも110年の間にたくさんいたことと思います。
重たさ、苦しさ、本当の気持ちに気づいて。私はひとりの人間。ここで、どう振る舞えばいいの?私でいいの?そんなマドリガル家のメンバーの訴えは、まるでアニメのなかのキャラクターとは思えないくらいはっきりとこちらに迫ってくるのです。
一方で、おばあちゃんのようにこれまで正しかった神聖なものを守り続けることを第一に行動するひともたくさんいるのだと思います。娘のミラベルを守ろうとブルーノのビジョンのことを内緒にしたミラベルの父は、家族全体を守るべくビジョンのことを秘密にすべきではなかったとおばあちゃんに怒られます。また、奇跡を最初に授かり、家を取り仕切る家長のおばあちゃんと家族のメンバーたちのパワーバランスはもちろん均等ではありません。家で起きている事件について探るべく食事中にルイーサに話しかけようとしておばあちゃんの話を聞かなかったミラベルは、無理やり椅子を動かされておばあちゃんの近くの席に座らされます。
「ミラベルと魔法だらけの家」にはヴィランはいません。おばあちゃんはヴィランではないのです。ヴィランはいないけれど、すれ違い、パワーバランス、そして指摘の機会のなさによって綻びが生まれ、大きな大きな悲劇を呼びました。悲しいほど宝塚歌劇団に似ていると思いました。
そういった意味では、「ミラベルと魔法だらけの家」の結論は少々心もとなく、これからマドリガル家はうまくやっていけるだろうか……と不安になりもしました。魔法を持たず家族の役に立てなかったミラベルは確かに家族を救い、家族写真の真ん中に写ることができたのですが、家を作り直したマドリガル家のみんなはまた魔法の力を取り戻します。ミラベルの成し遂げたことを、みんなはこれからも覚えていてくれるでしょうか。魔法の力を取り戻したみんなは、お互いに一人ひとりの存在を大切にしあえるでしょうか。
魔法の源である蝋燭の火が消えようとしたとき、蝋燭に手を伸ばすべく魔法を使った家族たちはことごとく失敗しましたが、普段から魔法を使えなかったミラベルだけがなんとか蝋燭にたどり着けました。あの混乱の中で家族たちはそのことに気づいていたでしょうか。これから家族が力を合わせるべき局面で、家族は魔法を持たないミラベルにもできることがあると感じてくれるでしょうか。
家族の問題についての話は結論が異なるものがたくさんあるのがいい
個人的に「ミラベルと魔法だらけの家」についての結末には不安を感じました。一方で、これだけの人気を集める作品であるからには、たしかに「ミラベル」から力をもらった観客もいるのだと思います。
家族に限らずさまざまな組織の中で発生しうる構図を描いた今作は、結末に不安はあれど大変チャレンジングです。
家族や組織は、この世に生きる人間全員が所属しており、人の家族だけその形があります。「ミラベル」も誰かにとっては苦手な作品であり、誰かにとっては心を軽くしてくれる作品になるでしょう。家族を描いた作品は、あまりにも倫理に欠ける作品でなければ、数あればあるほどいいと思います。ディズニーが、ワクワクする映像と音楽でラッピングして、マドリガル家の物語を作り出したことは非常に喜ばしいなと個人的には感じました。