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そして生き返り未来へ

 HBの鉛筆で絵の具を塗った上から目を書き込む。その目の輪郭の上に仕上げに使う極細筆で、まつげを書き込んでゆく。
「は~」
 タバコを一服し、また絵に向き合う。白目に筆を入れたらいよいよ黒目である。
 慎重に輪郭にそって茶系統の色を塗り、その中に黒い瞳孔を重ねる。さらに光源を白で重ね、ようやく終了。
 下書きのスケッチと寸分の狂いもなく仕上がった。
 畳にごろんとなりしばしの休憩。タバコを吸いながら、アーム式ライトをいろんな角度から当てていく。
 直毛で少し長めのおかっぱ頭にという要望だったので、青系統のパレットに黒を出し、群青色とあわせる。髪の毛は面積が広いので、テレピンで薄めて下塗りをして乾くのを待つ。
 十分に乾くまでしばし休憩し、昼飯を食べに台所へいくと、静江がご飯を出してきた。おかずは昨日の松前漬けの残りと、ハム入りのスクランブルエッグ。
「いただきます」
 静江も横で食べ始める。
「この松前漬けうまかったな」
「そうね、また買っておくわ。絵の方は今日で終わりそうなの?」
「いや、まだ2、3日。総仕上げをしなくちゃならない」
「親御さん、喜んでくれるといいね」
「そうだな。まあ結果はともかくいい内容の勝負が出来たか、そのほうが大切だよ。いい内容だと結果は後からついてくるもんさ」
「それも何かの人生哲学?」
「ふふ、そんなもんかな」
「深いわねー」
 静江がお茶を飲みながら、うなずいている様子。
 昼飯を食べ終わると、後片付けは雪太の仕事。皿を洗い、ディッシュスタンドに立て掛ける。
「さて、一眠りするか」
「あ、私もー」

 午後からは髪の毛の本番だ。極細筆で一本一本筆をのせていく。
 雪太は描く。あの頃いくら稼いでも明かせなかった自分の存在証明。
 いま描く。生きる意味を見つけるために。
 その困難を乗り越えて取り戻した自分。
 雪太は進む。空白の時間を、その心の隙間を埋めるために。

 集中すること3時間、ついに全てのピースがはまった。
「できたー!」
 雪太が大声で叫ぶ。
 椅子の背もたれに体を倒し、大きく伸びをし、絵の全体を見渡す雪太。静江がアトリエにやってくる。
「ほんと、可愛く描けたわね!親御さん喜ぶわ!」
「苦労したよ、今回の依頼は。なにせピンボケの写真と横顔の写真から復元してくれってんだからな。まさにパズルだったよ」
「頑張ったわね。よしよし」
 静江が頭を撫でる。目をつぶる雪太。
「さて、三日寝かせて終わりだ」
 数日後、気泡緩衝材で絵をくるみ、木枠で固定し軽急便を呼ぶ。横手さんに預けると、去っていく車を感慨深く見届ける。
「行ったわね」
「ああ、今回の仕事は難しかった。でも本当にやりがいがあった。おれはね、肖像画以外に自分が描くべきものがあると思っていたんだ。そこへこの仕事が舞い込んだ。これは天啓だ。お前の仕事はこれなんだと天が教えてくれた気がするんだ。これからもこの仕事に邁進する。それがおれの道なんだよ」
「ファイト!」
 静江が、雪太の肩を叩く。
「んははは、ちょっとカッコいいこと言ったかな」
「その調子よ!」
 背中に抱きつく静江。その温もりが心地いい。しばらくそうして、ようやく雪太は肩の荷を下ろした。

 すんの車いす作りも大詰めを迎えていた。難しいのは下半身を支えるホルダーとベルトの位置。実際にすんを乗せて微調整をしていく。
 そこへ協会から電話が。

「先生、先生! 依頼主様は大絶賛でしたよ。しばらく絵を見ているとご両親とも泣きだして『生きているようだ』とじっと見つめておりました。私ももらい泣きしてしまいましたよ。とにかく感動いたしました。報酬も依頼主様から是非ともと、かなりの額を上乗せされていきました。明日お振込みいたしますのでご確認下さい!」
 雪太も胸が熱くなった。苦労が報われた。万感の思いにしばし酔う。
「よかった……」
 自然と涙が頬をつたう。おれはいま人の役にたっている。金じゃないんだ生きるということは。

 ……真面目に生きるやつがバカをみる……

 ……金がほしい……金がほしい……

 ……バカみたいだと思った。誰からも必要とされないこんな人生……

 いままで生きてきた記憶の奔流が嵐のように雪太の心の内を駆け巡る。
「ううっ」
 流れる涙をぬぐいもせず、生きる喜びにただうち震えていた。

 日曜日、家族四人と一匹は車でいつもの河川敷にやってきた。
「よしいくぞー!」
「おー!」
 大河がすんを抱き上げ、雪太が車いすを持ち、草っぱらについた。
 すんに車いすを装着し、大河が10メートル先から叫ぶ。
「すーん、すーん!」
 すんは最初もたもたしていたが、段々と前に進み始める。
 少しずつコツが分かってきたすん。家族で必死に応援する。
「すーん、がんばれー」
「いけー、すーん」
「すーん、すーん!」
 その時いきなりすんが駆け出した。そして大河に突撃した。
 大河は後ろに倒れた。すんは大河に覆い被さり、その口元をペロペロ舐めた。
「よっしゃ。いいぞすん!」
 雪太がガッツポーズをした。みんなが集まりすんをもみくちゃにする。
 すんは嬉しそうにハァハァ言っている。
 そして家族の周りを前足だけで駆けまわり始めた。
「すん、よかった……」
 静江が涙を流す。雪太は、すんを保健所送りにしなくて本当によかったと思った。家族それぞれの愛情がより深まったと感じたからだ。
 すんが雪太に突進してきた。雪太はすんをかかえると、頬をあわせ抱きしめた。

 夕日がオレンジ色に空を染める。

 奇跡的な家族の物語はまだ始まったばかりだ。

 第ニ章 生きるということ 了

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