好きというお守りのかたち
大光さんのまんまるな瞳、ときには物憂げにしながらその理由を読み取れずにただただ引き寄せられるし、ときには嬉々として艶めいた様子を見せるし、きりりと瞳の奥で灯る炎を見るときもあります。
「瞳に吸い込まれる」とはこのことで、ラムネの瓶のなかのビー玉を取り出せずに覗き込んでは、たまに光にかざしてみたりする感覚で、ぼーっと眺めてしまいます。
その、なんとなく心の内を読み取れなさそうな掴めなさと、それでいて案外簡単に心の内を見せてくれようとする様の、絶妙なバランスがあって、大光さんの手のひらの上でずっと天秤をぐらぐらさせながら、時に転がされてみたり、時に胸を躍らせたりしながら、応援しています。
表向きのキャッチーさがとてもとても愛おしくて大好きであるのと同じくらいに、大光さん自身の真面目でひたむきな様子を目の当たりにしたときに、もう、どうしようもない気持ちになってしまいます。お仕事に対する姿勢や、アイドルという肩書きに対する想いの明確な理由が、言葉だけが宙ぶらりんになっていないというか。行動や様子で裏付けされていく様が「ひたむき」という言葉そのままで好きです。
大光さん自身が辛かったとき、音楽に救われた経験から、自分もそういう人を救える立場になれれば…とアイドルというお仕事を続けている、というエピソードを何度か雑誌で目にしました。わたしにとっての音楽は「孤独から連れ出してくれるもの」なので、その音楽というものに対しての捉え方が似ているように思います。
音楽を聴いていると自分が孤独ではなくなるから安心します。「孤独」がすごく悪い意味みたいに聞こえちゃうかもしれないけれど、寂しさを紛らわしたり、ちょっと息が吸いやすくなったり、みたいな意味。ラブリーサマーちゃんの「ヒーローズをうたって」という曲が好きなのですが、まさに私にとっての音楽やアイドルという存在は、ああいうもののことを言うのかもしれません。
話が逸れてしまったけど、そんなまっすぐな信念を持っている大光さんを、できるだけ綺麗に愛していたいと去年あたりから思うようになりました。
大光さんがわざわざ言葉にしてくれようとすること、ひとつひとつ大切で、わたしの安心材料です。おすすめの曲、日々の生活で気づいた大切なこと、大光さんが生きて一歩一歩体験して実感したあとの解像度の高さが、あたたかく感じます。大光さんが好きな人にだけわかる、こっそりの優しさ、大事にしたくなります。
そういうところが大好きです。
いろんなアイドルがいるし、応援する理由はさまざまだけど、大光さんを応援しているとその事実に付随して日々が息をしやすくなります。
そういう人間が大光さんの「生きていてくれてありがとう」の言葉の理由だとしたら、もっともっと頑張って生きて、大光さんの言葉をうまく受け止められている自分でいたいなと最近考えています。
日々のお守りみたいな、ラブをこめて
佐々木大光さんお誕生日おめでとうございます。あなたがあなたとして生まれてきたことにあたたかな祝福を。
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「すずらん」/ 吉澤嘉代子