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『謎とき百人一首』 ピーター・J・マクミラン

     

ひとり遅れの読書みち     第64号

     アイルランド生まれの著者、日本に来て30年余り。大学の教師、翻訳家、作家として活動し、テレビやラジオにも出演している。大学で英文学と哲学を教えるため1年間の予定で日本にやってきた。ところが「ミステリアスでファンタスティク」な日本文化と出会い、その奥深さに感動し掘り下げているうちに、いつの間にか30年以上の月日が流れたという。とりわけ和歌との出会いが大きい。本人が詩人ということもあって、和歌の美しさや不思議さを感じとっている。
     『百人一首』を2008年に翻訳すると、米国ではドナルド・キーン日本文化センター日本文学翻訳特別賞、日本では日本翻訳文化特別賞を受賞する。翻訳が高く評価されている。

     本書には「和歌から見える日本文化のふしぎ」という副題がつけられ、著者は新たな英訳を試みた。外国人の視点から見た日本古典の不思議な世界を紹介するものになっている。
     日本の伝統文化における「酸素」のようなものと著者は和歌を表現し、日本文化の中心部のいたるところに和歌の影響を感じとっている。日本人の多くが気づかないような点までも見出し、詳しく明らかにする。西洋の詩歌と比べてみることで、あらためて和歌の独自性と普遍性を知ることができる。

     まず注目するのは、和歌に限らず日本語では主語があいまいなこと。動作をしているのが誰なのかはっきりしないことが多い。例えば、5番の歌。
   

奥山に紅葉踏み分け泣く鹿の
          声聞く時ぞ秋はかなしき

     「奥山に踏み分け」ているのは「人」なのか「鹿」なのか。どちらとも解釈が可能だ。英文学においては、「I」が必ず詩の中心になる。「Iがない」ことがあり得ない文化の中で育ってきた著者。この歌についても最初の訳では、I hear the lonely stag /belling for his doe  と「I」を補っていた。しかし歌の背景には、自分の育ってきたのとは違う文化、人間に対する考え方があることに気づき、主語を主張しないで、どちらにも読みとることができるよう次のように訳したという。
     In the deep mountains
     making a path
     through the fallen leaves,
     the plaintive belling of the stag ---
     how forlorn the autumn feels.

     また66番の歌。
     

もろともにあはれと思へ山桜
          花よりほかに知る人もなし


    「花しか私のことを知らない」のか「私が知っているのは花しかない」のか。訳に迷ったという。
     (A)
     Mountain Cherry,
     let us console each other,
     Here on Mount Omine
     apart from you
    no others know me.
     (B)
     I know no one else
     except for you.
    このように2つの訳を試みている。 (B)訳は(A)訳の下2行を入れ替えて読む。Bの方が「私」を重視する西洋人にはわかりやすい。しかし日本的にはAだろうと判断したという。

     次に著者は、掛け言葉や縁語、歌枕あるいは見立てなど和歌の技法に注目する。日本文化を表しているものであり、翻訳することは難しかったと記す。例えば、9番の歌。
     

花の色はうつりにけりないたづらに
          我が身よにふるながめせしまに

     「雨が降り続けて美しかった花の色があせてしまう」という意味と、「かつては美しかった女性が年老いて物思いをしている」という意味が二重に込められている。「よ」は「世の中」と「男女の仲」、「ふる」は「降る」と「経る」、「ながめ」は「長雨」と「(物思いにふける)ながめ」の掛け言葉だ。こうした技巧が凝らされた歌の訳は至難の業だが、次のように訳している。
     I have loved in vain
     and now the blossom of my youth fades 
     like these cherry blossoms
     paling in the long rains of spring
     that I gaze upon alone.
     「いたづらに」は直前の「うつりにけりな」にかかるとも、直後の「我が身」にかかるともとれるので、訳では、in vain を I にも cherry blossoms にもかかるように工夫している。
     
     また3番の人麻呂の歌。
     

あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
          長々し夜をひとりかも寝ん

     単語をひとつずつ並べることで、山鳥の尾羽の長さを視覚的に表した。さらに「ノ」と「オ」の音の繰り返しがなだらかに続くさまは、聴覚的にも夜の長さを感じさせている。このため訳ではlongやaloneなど「オ」に近い母音を持つ単語を意識的に選んで「ひとり寝の長さ」を伝えようとしている。見事だ。
     The 
     long
     tail
     of
     the
     copper
     pheasant
     trails,
     drags
     on
     and
     on
     like
     this
     long
     night
     alone
     in
     the
     lonely
     mountains,
     longing
     for
     my
     love.

     一方、固有名詞にも工夫している。掛け言葉となっている固有名詞はそのまま英語の文字にしても西洋人には理解できない。そこで次のように言葉を選んでいる。「逢う坂の関」は人の出会う坂の入り口という意味で、Gate of Meeting Hill と訳し、また「陸奥(みちのく)」は far-off north 、「宇治」はHill of Sorrow と訳した。

     日本文化については、求愛や結婚にまつわる社会的風習をひとつの大きな特徴として挙げている。「通い婚」や「妻問い婚」と呼ばれる結婚形態であり、日没後に男性が女性のもとを訪れ、夜明け前に帰る。男性はすぐに女性あて後朝の歌を贈ることが重要となる。和歌のできが問われるわけだ。
     また、著者は月の歌が数多く詠まれ、しかも三日月、望月、有明の月というように月の見方を細かく描き分けていることに注目する。日本国旗が日の丸だから、日本は太陽の国と思いがちだ。そうではなかった。西洋でも月はよく詠まれてはいる。ただし、月を意味するラテン語lunaから派生してlunatic(常軌を逸したさま)という語が生まれたように、月のせいでおかしな気になると詠まれることが多いそうだ。文化の違いだろうか。興味深い。本書は和歌や日本文化を学びたい人にとって格好の書と言えるだろう。
(メモ)
謎とき百人一首 
和歌から見える日本文化のふしぎ
ピーター・J・マクミラン
2024年10月25日 発行
新潮社

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