さみしさを感じられるようになって久しい 悲しめるようになってまだ日が浅い

見る ということ

「こころの傷は必ず癒える」を読んで意識的に生きる決意をしてからわたしが見ていたのは、親が子どもを飽くことなく害っている場面だった。
スーパーでコンビニで、親が子どもを貶め、いかに迷惑で役立たずか、無価値かと「焼き印」を押し付ける場面に遭遇した。外出なんかしなくても、斜向かいの家族が毎日毎日地獄絵図を展開するから見たくなくても見えてしまい、耳に聞こえた。親が子どもを害い、害われた子どもが年下の子どもを害い、人をばかにしていたぶること、そうして徹底的に価値がないと思い知らせること、しか知らない子どもが「弱い大人」のわたしを捌け口に使った。

しつこくなぶられた子どもが怒るのは当然だ。それでも、正当な怒りであっても表現すれば子どもは「罰」を受ける。不当な扱いを受け、出口を塞がれた怒りは憎しみに変わる。憎しみの対象は親であるはずだか、子どもがそれを感じることは不可能。
自分に害を及ぼさない対象を、憎しみは間違いなく見つける。
的を射ていない対象にいくら発散したところで、憎しみは解消しない。

コンビニのレジ前で、幼児の頭を打った痛い音。打ったのはさっきから子どもに邪険だった母親らしき女。お店には子どもがほしいものが子どもの手が届くところ並んでるんだから、せがむに決まってる。
「パパに言いなよっ!」
男の子が何か訴えるたびに怒声を浴びせた揚げ句の殴打。
「子どもをぶっちゃいけない」
たまらず言った。静かな声だった、頼むからそんなことをしてくれるな、という声だった。
若い女は、頭の天辺から爪先まで、軽蔑しきった目でわたしを眺めてから、「あんたはそうすればいいでしょ!」
と吐き捨てて去った。
店の人が切なそうに、「あの人はいつもああなんです」と言った。

なんでこんなものばかり見せられる?!
見たくない、聞きたくない、見せないで!

何年間見つづけたんだろう。斜向かいの家は越して行き、隣のうちも引っ越した。隣の親たちは常に穏やかだった。連日の、地獄の火に焼かれているかのような子の泣き叫びにも動揺しないやさしさだった。
「だっこー!だっこしてー!ぎゃーーー!」
力の限りで泣き叫び助けを求める子どもの声に答えたのは、
「ゼリー食べるー?」という、あくまでやさしい母親の声だった。それは同じ場にいる人間か?と疑うようなのんきな声音。
子どもは極度の便秘に苦しんでいた。ふろの湯の熱さにも苦しんでいた。子どもは熱湯を浴びてはいなかったろう。子どもが救急搬送されたことなどなかった。この湯の温度は熱くない、だから熱く感じて苦しむのはおかしい、という解釈を養育者たちはして、それで済ませた。済ませることができる「感じなさ」を子どもの母親と父親と祖母が持っていたということだろう。
ある日その祖母が「また○○が大騒ぎでさっ、大笑いだよ!」と手を打って笑いながらご近所さんに話す声が聞こえたときの衝撃。あの子の苦しみを、どうかして和らげられないかと、他人のわたしが陰ながら苦しんでいるというのに、大笑い?!
わたしの親も「あの子はヒステリーだ」と、ばかにしたようにあわれむように言った。「あんなにやさしいお母さんなのに」だから「あの子はおかしい」と。
そうではないんだ、根本的におかしいことは、あの子の苦しみを周りの大人たちが正当に扱っていないことなんだと話したけれど、まるで通じなかった。
苦しみを無いかの如く無視されて数年を経たある日、子どもは破壊された人の片鱗を見せた。
自転車で、斜向かいのうちの子の足をにじにじと用心深く轢いてからわたしを見上げて、
「痛い、痛い、○○ちゃん(轢いている本人)の足痛い」
と訴えた。轢かれているのは自分の足だ、とその子はわたしに訴えたんだ。
足を轢かれている子は顔をしかめていたが、驚愕の表情に変わった。
恐かった。
「違うよ、見てごらん」
あなたが轢いてるんだよ。あなたが、他の人の足を、轢いているんだよ、と、静かに説明した。

「ううん」
子どもは首を横に振った。
「○○ちゃんの足痛いの、○○の足痛いの」

足を取り戻した子は、異様なものを黙って見つめていた。

祖母が、自らのうちの憎しみを見ることを拒み、ひっそり憎しみを子に渡した。渡された子も見つめることを拒んだ。祖母から子へ、子から孫へ、憎しみが連面と伝わっていくさま。
この子どもの叔父に当たる人は、子どもが生まれてくる以前に負の遺産の代償をいのちで支払った。
不遇な少年だった。ぶたれたり、罵られてはいない、彼は家族の除け者で、使い走りだった。日曜日、彼は決まってコーラやスプライトを買いに行かされていた。家族が楽しそうな笑い声を立てているとろへ、子ども自転車のカゴには収まりきらない何本ものペットボトルを積んでやっと帰って来る。荷物の重みで倒れそうになりながら自転車を停める。袋から落ちそうなペットボトルを両腕で抱えて、なんとか玄関前にたどり着くと、「開けてー」という悲しげな声が。
ドアはすぐ開かない。
おかえり、ありがとう、は聞いたことがない。ありがとうの声があるくらいなら、はじめから彼ひとりを使いになど出さないが。
父母と兄妹と彼、5人家族みなで飲み物を買いに、散歩がてら行かれたのに。いつでも外に出されて締め出されるのはあの少年と決まっていた。
彼はぶたれてはいなかった。罵られてもいなかった。
彼の面差しはいつも悲しげだった。
彼は大きなしあわせを目前にしたとき、恐怖に取り憑かれてしまったのかもしれない。恋人と新しい人生を生きるよりも、代償を支払うしか彼には道が見えなくなってしまったのかもしれない。
甚だしい飢餓を生き延びた人に、いきなり栄養いっぱいのたべものはいのちを養うどころか、殺しかねない。



追記 6/18
「あなたのことを書きましたよ」とこころの中で伝えた。
疲れて寝た。
起きたら、あの子の笑い顔が見えた。


    

⒈じねん自然  ⒉なんにでも時がある  ⒊見る ということ
⒋あり得たかもしれない人生  ⒌ぞうさん
⒍何度もわたしの前に現れたふたり


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