水から上がった
1997年9月4日(木)
仕切られた海─明るかった─でわたしは溺れていた。1度手が縁にかかったのでからだを持ち上げようとしたが、腕に力がまるで入らず、上がることができなかった。
縁から離れ、少しからだを楽にして漂った。篊(海苔ひび)かな、細い棒が数本立っていたので掴まることができて助かった。篊は水の動きに添ってよくしなう。水に味はなかった。海ではなかったのか。
篊にすがって考えた。からだを伸ばして両手両足で泳ごうか。でも縁は遠い。水はどわんどわんと動いていて、自分の水泳では先へ進めないのではないだろうか。
疲弊している。
命綱を放そうか──沈もうか。
しかし、一瞬では死ねないのだ。しばらくの間苦しむのだ。
もう、それはどうしても嫌だった。
えい!と泳いだ。
踏ん張って─足を着く地面がないのに─水から上がった。
通りがかりの若い女が「あなた自分で上がったの?!」とびっくりした声を出した。わたしはぼろぼろでドブねずみそっくりだったが、そんなことは気にならないらしかった。
「この人自分で水から上がったのよ!」
女は親方を呼びに走った。身内だろうか。
親方は一瞬顔を出したかと思うと、ふん、と引っ込んだ。