いいかんじに声を解放したい
怒りの底に悲しみがいる
真っ暗でもなくどん底でもないが生きる意欲が減退しておりました。
リリコイさんが、お主いかがした?と問いかけてくださいました。
自分の状況をなんとかことばで伝えたいと、あらためて考えてみたところ、醜いことばを、母親がわたしに浴びせてきた醜いことばを、タイムマシーンに乗って現場へ駆けつけて叫びたいーーその前に喚いてる母親を突き倒したい、ついでに鏡を突きつけてやりたいとわかった。
それはできないことだと知っているから、八つ当たり的に、世界中に向かって醜いことばを叫びたいのだが、それもできない。第一希望第二希望が共に不可能でどろどろのコンクリートに沈みこんだかのように身動きとれない感覚に陥った。
疲れると声が出にくくなる。花粉、乾燥、かぜ、喉に違和感がない日はあんまりない。本当に叫びたいことばが出てしまわないように喉を閉めているからだ。「昇華」? 欲求を社会・個人を害さない仕方で完了させる、それが人間なわけで。一応人間(じんかん)に生きるひとりとして、努力はしているが、昇華しませんな。
んー、我が親は、怒り憎しみ苛苛侮蔑を子どもにぶつけたのに、そのまんま。弱い立場の相手に生殺与奪の権を持つものが思うさまふるう暴力を止めに入った人はいなかった。逆に、あの人を「大変なのに偉い」とか、「大変なのだから理解してあげて」「助けてあげてと」と大人たちが言うのを聞いてきた。親の、あの罵り声は近所中に届いたはずなのに親は逮捕されず、精神を病んでいますよと、措置入院もさせられていない。
子どもに大人が罵声を浴びせて、叩きのめしたとしても、警察来ないよ。救急車来ないよ。なんでだろう。
どうかしてる、狂ってる。
たまーに、精神が崩壊しそうになったとき、わたしは布団に顔を押し付けて、極力声がもれないようにして、叫ぶ。
死ね!!!!!
子どもにではなく、独りで「死ね!死ね!」わたしが喚いたら、ピーポーピーポー呼ばれるだろ?
なんで? なんで「大人による子ども破壊」は野放しなの?
アリス・ミラーは「わたしたちのこの態度はある種の認識障害と言えるでしょう」と書いていた。
いまわたしは日常的に悪態ついてる。それでも時に、世界中に響く大音声で「死ね!」と叫びたくなる。かつての親たちと「子どもを見殺しにした」周囲の認識障害の大人たちに、彼らが共有していた「価値観」に、限りない怒りが沸き上がる。
子どものころはなんでだろう、悪態つかなかった。
悪態は大事だと思う。
「人を呪わば穴二つって言うんだよっ!」
どす黒い顔で喚いた人。
そうだ、わたし、子どものころ親に物凄く腹が立ったとき、抗議した、ことばで。ちゃんと伝えた。返事は、「おまえはうるさい!」「おまえはおかしい、異常だよ!」「こんなにかわいがってやってるのに、何が気に入らないの?!」
わたしは呪わしい持ちになった。すると「人を呪わば穴二つって言うんだよっ!」ってどす黒い顔が喚くのが聞こえて目に浮かんだ。
弱いものは呪い、強いものは祟ると梅原猛先生が書いてたな。
頭がおかしい親にはことばが通じず、弱い子どもは呪おうとしたのにそれさえ封じられていた。あの人は自覚あったんだ、呪われるようなまねをしてるって。
わたしはあの人に悪感情をいだくことさえ恐れて、悪態なんて思いつきもしなかったか。
よこすか大声大会
今朝(10/30)いつものようにラジオをつけたら、がらがらした声が。かつては「鬼」と呼ばれた警察官で現在は僧侶の方が話されていた。そもそも犯罪が起こらないように人を支えたいというお考えで、うれしかったので検索した。
大島龍隠(りゅうおん)さんの⇧目が、胸を打ち、涙がじわ。
普段大きい声を出してないと、必死な場面で助けを呼ぼうとしても大きい声が出せない。だから、練習しよう、と。
大きい声なんて出せるところ無いもんな。緊張すると喉が引き締まってしまって声が出なくなるから、大きい声を出す感覚をからだに記憶してもらうのは必要だな。
「全力を出したらどんな気持ちになるのかを実感しようという目的で、声を出してみようと思い立って」試してもらったら、「『すごく気分が晴れた』『気持ち良かった』という感想をいただきまして」
そうなんだ、いいなー、すてきなはじまりだー。
きのう(10/29)「ナイツ土曜ワイド」のゲストがマギー司郎さんで、お話聞いてたら、マギー司郎さんは「楽しそう」に導かれてきていた。17で東京に来た動機は週刊紙のカラーグラビアでお金持ちの家を見たことと、あふれる色、カラフルな色。いなかではピンクなんてほとんど見ませんからって。困難はいっぱいあっても、「楽しそう」が導く人生を生きてらしたのかー。わたしもそうなりたいなー。「色」っていいよねー、マギーさん。
この前、仙厓(仙厓義梵)さんの絵を観てきた。チケットもらったからあげる、と友だちが送ってくれた。閉じ籠り気質で外に出ることが、なかなか難しい、行かれる日は限られる。体調もよく崩れる、期限が迫るーー予約にはケータイ番号が必須。ケータイは無い。空いてれば入館できるというので終了間近の金曜に出かけた、やっと。
仙厓さんの存在が近くにかんじられた。仙厓さんは偉いお坊さんのようだけど、分け隔てなく人と交流したようだ。仙厓さんのとこにはいっぱいいろんな人たち、子どもたちも遊びに来たらしい。姑が嫁を苛むことに目を向けてくれている絵があった。わたしには無縁のことだけど、「女三界に家なし」とかいう時代に。ああ、仙厓さんには見えてたんだなー、見てくれてたんだなーって、うれしいんだ。
仙厓さん、マギー司郎さん、大島龍隠さん。
不快を避ける生き方は行き詰まる。
快い、楽しそう💛を推進力にしようよ、わたし!
パラダイムシフト✨
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