《わたし》さんへ まで
意識的に、自分に手当てするようになった。
悲しみで、苦しみで、胸が痛んだら、手を当ててなぜなぜ。痛みが和らぐ、独りではないと感じる。
むかしから胴の左側に痛みがある。痛さで目が覚めたときは、手を当てて、なぜなぜ。凄く痛くないなら無視してきたけど、無視はやめた。なんで当たり前のように無視してきたのか?って疑問を持てたから。気がついたときは手当てするようになった。手当てはしなくても、視る─気づいたと確認する。
頭の天辺に手を当てる。ほっとする。頭全体をなぜなぜ。ほっとする。呼吸が楽になる。
背中に、ほっ、って 手を当ててあげたいけど────仕方ない。
そんなふうにしてたら、自分にありがとうって自然に思うことが増えた。
自分にありがとうは自分を超えて広がる。
洗濯もの畳んでた。歌ってた。口をついて出ていた歌に驚いた。
14、5時間前、思い出したくても思い出せなかった歌だよ。
オリオンも輝く空を眺めて、おやすみー、さー、寝よーって横になったものの、眠たさが戻ってこなかった。歌うことにした。
歌うより思い出すのに時間をつかった。詩は覚えられないのに、歌は幾らでも出てきて不思議だったんだけど、この度は思い出せなくて不思議だった。ほら、あのドラマの、あの歌! 大好きじゃん、なんで思い出せないの?
忘れてしまっても、「好き」は、消えないんだ。
検索。「♪なーいしょだよ かくれているのさ」
ああ!『ちょっとマイウェイ』!
今朝、起きたら足冷え冷え。畳でごろんと寝こんでた。
からだギシギシになってない、首、少し凝ってる。のどが「弱いはず」なのに、のど痛くない。のど、腫れなくなったな。
考えた。
極端な偏食、運動しない、お日さまもあんまり浴びない。でもさ、生きてきた年月でいちばん健康だね。何日か前、立ち眩みして、あー、久しぶりだーって、小さく驚いたっけ。
からだに、《わたし》は全然追いついてない。
からだに追いついてないな──そう思うことが重なるこのごろ。
《わたし》は常識でわたしを動かそうとして躍起。からだには全然関心を向けない。
からだのことはガン無視で《わたし》=世間の常識でわたしを裁いてるってナンセンスじゃない?
僭越な。
越権行為。
「助けようとして《わたし》は必死なんだから、それは惨いんじゃない? 《わたし》が荒んじゃうんじゃないかって心配」
「言いたいことはわかります。
ん、いま温かい気持ちじゃなじゃったのは本当。
わたしも《わたし》の懸命さを、いまは解っているからね。徒に《わたし》を傷つけたいなんて思ってないから安心してくれ。
非難じゃなくて、《わたし》と事実を確認する必要があるって、いま思ったんだ。《わたし》は全部つかんでなきゃ!って信じてるんだよ、未だに。それは《わたし》の本分ではない。越権行為というものです。協働への不信に基づくふるまいです。それを《わたし》に理解してほしいんだ」
《わたし》へ
とてもがんばってきた《わたし》です。自分を守るためにがんばってきた。
《わたし》が真面目にがんばってきてくれたこと、ありがとう。辛かったけど、がんばった。自分を守るために、傷だらけになった。
違う在り方をしようよ。《わたし》の本来の在り方。「いまここ」に気づくこと。「いまここ」を知ること。それが、それだけが《わたし》のお仕事なんだ。
あれもこれも全部しなきゃって必死だったよね。何も信じられなくて、全部自分でなんとかしなきゃいけないのに、できない!わからない!って。
懸命で、悪意なんかじゃない。そうだよね。
悪意じゃないけど、協働を無視した越権行為だった。
協働に戻ろう。
戻るなんておかしいと思う? 戻る以前に協働なんて知らない?
そう思うかもしれないね。
協働に参加してください。慣れてください。そのうち実感が来るでしょう、ああ、かつて協働してたって、独りじゃなかった、って。
いままで自分を守ろうと傷だらけで懸命に力を尽くしてくれてありがとう。
その任務を解きます。
なんの権限で?
「いのちの権限」でしょうか。
《わたし》さん、あなたはもう「いまここ」に気づく以外のお仕事はしません。いいですか? 大門未知子流に「致しません」で行ってくださいね。「いまここ」に専念するんです専心するんです。あなたの唯一で肝心な肝腎なお仕事は、「いまここ」に気づくことです。
あなたが背負ってきた重荷はもうありません。あなたはいつも空身で「いまここ」に在ればよいのです。空身です。両手は空いています。背中に荷物もありません。頭におこぜも乗っていませんよ!