見出し画像

大丈夫だから

1997年5月25日(日)
夜、テレビ見ながら着てる白のねまきに文字を書いていた。耳なし芳一は皮膚に経文、わたしは服に何かの文。首の辺りから左腕に書いて、ペンを持ち替えて右腕に書こうとしたら、背後の窓がガタガタ。外で母が窓を開けた。夜の冷たい空気が流れ込んできて、澄んだ夜が見えた。
涼し過ぎるので障子を閉めて、あらためて右腕に取りかかったとき、またしても中断。
興奮ぎみに呼ぶ母。
「鴨が葱しょって飛んで来るよ!! 早く!早く!」

かもねぎ? おもしろくなって玄関に急いだ。戸が開いていて、くっきりと夜が見えた。つっかけの白いくつがあるはずなのに、なかった。あったのは左が鋭い爪先の茶の紐靴、右が黒で金の金具が着いた靴。左右が違う靴ひと組、それしかなかった。ほかに履き物がないから、見たこともないそれを履いて表へ出た。

もうすぐ満月という明るい月をかすめるように飛ぶのは鵜だった。嘴に何かをくわえた鵜が、くっきり澄んだ夜の空をゆく──と眺めていたら、電線にぶつかって落ちた。
落ちたのはうちと隣の家の間だった。フェンスもあるし、どうしようと気をもんでいたら、母がわけなく拾い上げた。
黒い鳥の背中に大きすぎる紫の円が。背骨の断面だと思ってわたしは戦いた。灰色のまぶたがとても眠たげに閉じているだけで、鳥は苦しんでいるようには見えなかったけど、わたしは衝撃のあまり取り乱しそうになった。
その時、大丈夫だから絶望して泣かなくていい、という思いが、深いところから自分を支えてくれるのがわかった。

どんなけがでもなんとかなる。

いいなと思ったら応援しよう!