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ひとつの緑

1997年8月31日(日)
今朝起きたら久しぶりに静謐だ。

(ひるね)
昼。戻ると、まるで日除けのような蜘蛛の巣が玄関に張っていた。
さっきあった? 無意識によけたのかな?
小さな黒い蜘蛛はいなかった。小さな黒い蜘蛛が巣を張ったと思うのだ。

家に入るために巣を外した。軽くてさらっと張りのある麻のような感触。外した巣をとりあえず下に置くと、隣のおじさんが来て止める暇さえわたしに与えず、巣を革靴で忌忌しそうにギリギリ踏みにじった。
白い巣はぺしゃんこ。土にまみれて茶色になっていた。
わたしに対してはもちろん、蜘蛛の巣に対しても、蜘蛛に対しても、おじさんが良心の呵責をまるで一切未来永劫感じないのは、次の主張で明らか。
①蜘蛛の巣には栄養がある。
②形が壊れた巣は蟻にとって食べやすい。
③これを目掛けて来た蟻が、〈私〉の植木鉢の緑に目をつけて食い荒らすかも知れない。
自分の正当性をこれまでも疑ったことがないであろうおじさんの自動化された破壊行動、つづく自分の正当性の主張、だめ押しの説教。
「1つでも2つでも木(クリスマス・ホーリー)を植えたの?」
オソレイリヤノキシモジン、ああ。
それが普通の人の道らしい。鉢に木を植える。
わたしには、木の桶に小さい緑がひとつあって、ほかに欲しいとも思わない。
「わたしにはこれがありますから」

柄杓で水をやると、それはうつくしい青紫の花が。


2022年7月2日(土)
「1つでも2つでも」生産的なことしたの?
あー、やだやだ、って顔でよく子どもに言ってた御仁は草葉の陰でなに思う。

暑い。

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