「魂はおいしい」のだそうです。 1
自分に代わって誰かに排泄をしてもらうことはできないし、自分に代わって誰かに食べてもらうこともできない。
だけど、自分が感じたくないものを「親密な人」に感じさせることは、可能。
自分の厄介な荷物を押し付けて身軽なふりをすることは、可能。
ある息子思いの優しいお父さんの話。
わたしがいまよりずっと若かったころ、夏の夕暮れ涼みに表へ出た。下手な三線を爪弾いていたかもしれない。「イブニングフェリーだね!」とよく通る声に右を向くと、一見欧米人にしか見えないおじさんがいた。大きな犬を連れていた。その人をわたしは5歳のときから一方的に知っている。彼の母親は日本の人で、父親は西洋の人だ。だからだろうか、気障な声かけだったが不自然な気がしなかった。
そんなきっかけで時々話をした。おじさんが話して、わたしは聞いていた。
よく息子の話をした。おじさんは息子を語るときいつも「かわいそうなんだ」と通る声で言い、嘆息するのだった。
はじめに言ってしまうと、息子をかわいそうにしている張本人なんだけど、彼が。
だけど彼自身の認識では、「俺は愛情深い父親」なんだ。