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《二十五. 意外な仕事への取り組み 》

 『邪法兵衛』三部作のヒットを受け、ファンや映画関係者は雷次の次回作に注目した。
 そんな中で雷次が選んだのは、意外にもテレビドラマだった。
 1984年4月から始まった連続ドラマ『遠読み殺し(とおよみごろし)』で、彼は企画・原案・総監督を務め、全23話の内の5本を演出した。ミニシリーズ『隣の夢幻界』で監修を務めたことはあったが、テレビ作品に企画から携わるのは、『遠読み殺し』が初めてのことだ。

 「なぜ映画ではなくテレビドラマなのか」
 と記者発表の場で質問された時、雷次の返答は明解だった。
 「この企画を考えた時、映画の尺では描き切れないと思いました。『邪法兵衛』のように三部作にしても、まだ厳しい。それに映画だと、一本が終わると、ひとまず話が終わる。流れを切らさず、余裕を持って物語を描くために適していたのが、連続ドラマだったということです」

 雷次は、自分が映画の世界の人間だと認識していたし、誇りも持っていた。しかし、だからといってテレビの世界を敬遠したり、軽蔑したりするようなことは無かった。何よりも大切なのはお客さんに楽しんでもらうことだと考えており、そのためならフィールドへのこだわりは無かった。連続ドラマの仕事でも、映画と同じようなスタンスで臨み、もちろん手を抜くようなことは一切無かった。むしろ、
 「映画は面白かったが、テレビは門外漢だからなのか、凡庸な出来映えだ」
 と言われないよう、今まで以上に気合いを入れて取り組んだ。

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  『遠読み殺し』

〈 あらすじ 〉
 高校生の石山里美(宝前美由紀)は、他人の心を見透かす特殊能力を持っていた。だが、そのせいで彼女は周囲の人間が信じられなくなり、友達付き合いも出来なくなってしまった。そのために現在は、その能力をあまり使わないようにしていた。しかし、相変わらず学校ではクラスメイトと距離を置き、孤独な日々を過ごしていた。

 ある日、いつものようにバスで学校へ向かっていた里美は、同年代の少年・遠藤豊(笛吹聡)に目を留めた。なぜか彼のことが気になり、里美は久々に能力を使おうとする。しかし見えない壁に遮られ、豊の心を読むことは出来なかった。
 里美がバスを降りると豊が追って来て、
 「俺の心を勝手に読もうとするな。お前、何者だ」
 と激しく詰め寄った。里美は隙を見て逃げ出すが、自分の能力を見抜かれたことに動揺を覚えた。
 里美は母親から、自分のような能力を持つ人間を「遠読み」と呼ぶこと、他にも大勢の仲間がいること、死んだ父親が遠読み一族の中でも特に能力が高いとされるエリートの一人だったことを知らされた。

 里美のクラスに、田代天晶(那須清人)という男子が転校してきた。美しい顔立ちを持った田代は、たちまち女子生徒の人気者となった。
 そんな田代は里美と二人きりになった時、近くにいた生徒の心を読んで、それを彼女に告げた。驚く里美に、
 「僕も君と同じ、特別な能力を持っている。僕らは仲間なんだよ」
 と柔らかい口調で述べた。
 それまで孤独だった里美は、初めて分かり合える仲間と出会えたことを喜んだ。里美は田代から、彼の仲間たちを紹介された。しかし、やがて彼女は、田代の言動に危険な匂いを感じるようになった。

 ある時、里美は田代に絡んだ不良の男子学生が大怪我を負う現場を目撃した。田代は不良に手も触れておらず、どうやって傷付けたのかは分からなかったが、里美は彼の仕業だと察知した。恐ろしくなった里美は田代と距離を置こうとするが、彼はしつこく仲間に引き入れようとする。
 新世代の遠読みである田代は、他人の心を読むだけでなく、自由に操る能力を覚醒させていた。その能力を使い、彼は不良を操って大怪我を負わせたのだ。過激な思想を持つ彼は、遠読みによる世界征服を企んでいた。彼はエリートの血を引く里美を仲間に引き入れ、彼女の能力を覚醒させることで、計画を推し進めようとしていたのだ。

 暴走した田代の仲間たちに里美が拉致されそうになった時、そこに豊が現れた。豊は特殊な能力で一味の動きを止め、里美を連れて逃走した。
 豊は「遠読み殺し」の血を引く人間だった。遠読みに心を読まれず、逆に相手の心に入り込んで特殊な攻撃が出来る人間、それが遠読み殺しだ。彼らは相手に触れずしてダメージを与えることが出来るが、それは遠読みだけに通用する能力であり、普通の人間に対しては全く効果が無い。
 豊は里美が敵ではないと理解し、彼女を田代から守るために戦う決心をした。豊と行動を共にする中で、里美は次第に彼への好意を抱くようになっていく。一方、田代は邪魔な豊を排除して里美を手に入れるため、激しい攻撃を仕掛けてきた……。
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『遠読み殺し』のアイデアのきっかけとなったのは、まるで関連性が無いと思えるような物だった。
 着想の発端は、まだ雷次が大映に所属していた1966年に遡る。
 当時、大映では『大怪獣ガメラ』シリーズや『大魔神』シリーズといった特撮映画がヒットしていた。そんな中で、雷次は新たな特撮映画の企画として、妖怪の登場する作品を思い付いた。

 雷次が目を付けたのは、実在した江戸の浮世絵師・鳥山石燕だ。彼は妖怪画を多く描いた人物であった。そこで、その妖怪が実際に存在し、石燕と交流したり、敵対したりする話はどうかと考えたのだ。
 雷次は石燕について資料を集め、彼の画集『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』も見て、アイデアを膨らませようとした。しかし、なかなかピンと来る筋書きが浮かばず、そんな中で永田社長から仁侠映画を撮るよう指令を受けたため、ひとまず凍結状態となった。

 そうこうしている内に、テレビでアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』が放映されたことで、妖怪ブームが起きた。それを受けて、大映は1968年から1969年に掛けて『妖怪百物語』『妖怪大戦争』『東海道お化け道中』という妖怪三部作を公開した。一方で雷次は妖怪映画への意欲を失い、他の作品に取り組む中で、そのことを忘れていった。

 月日が経ち、『邪法兵衛』三部作を撮っている最中、雷次は
 「法兵衛の技は超能力のようにも見えるが、実際に超能力を使うアクション映画を作ってみようか」
 と考えた。その超能力についてアイデアを練る中で、彼は『今昔画図続百鬼』に描かれていた覚(さとり)という妖怪のことを思い出した。それは人の心を見透かすことの出来る妖怪だ。
 「妖怪ではなく、人間がその能力を持っていたら、どうだろうか」
 雷次はそう考え、そこから『遠読み殺し』のプロットが組み立てられていったのである。

 『遠読み殺し』は、特に若い年代から高い人気を集める作品となった。そもそも雷次は十代の少年少女をターゲットとして作品を企画しており、狙い通りの結果が出たということになる。
 主要キャストを演じた新人俳優たちは一躍、脚光を浴びた。
 特に田代天晶を演じた那須清人の人気は絶大で、当時の女子中高生を熱狂させた。

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