傘なしの雨模様
終業間際。
雨雲レーダーを見る。
ギリギリ傘なしで帰れそうな気がする。
置き傘は以前仕事帰りに寄った先で無くなり、日傘は行きが曇りだったので持ってこなかった。
駅までは同僚が傘に入れてくれた。
ああああ、ありがたやあ…!!!
電車に乗った。電車に乗りながら雨足を知るには、窓の濡れ方観察を。
うむ、まだ濡れていない。
数駅進んだ。
反対方向の電車も、遠目だけど濡れている感じはない。
自宅最寄り駅の1つ前の駅。
よしよし、まだ窓は濡れてない。
自宅最寄り駅に到着。
ドアが開く。いざ。
ボタッ ボタッ
ドアの縁からしっかり落ちるしずく。
なんでっ!!
駅を出て、水たまりの波紋を確認する。
あれ?そんなに降ってない……?
つい先日、予想していなかった雨で傘なしで帰った時よりもほんの少し強いくらい?
周りが100%傘を差す中、細く折って首に巻いていたショールを一旦広げ、2つ折りにする。
頭や顔に雨がかかるのが最も不快度数を上げると、先日学んだ。気温が低くなく、冷たい風が吹かず、雨が服に浸透して肌に到達しない限りは。
ショールを頭に被せ、飛ばないよう、肩近くで端を左右の指で軽くつまむ。
美人画や女優さんみたい!(ごっこ遊び)
小走りしながら、意外と雨が気にならないと気づく。少々の雨ならフードを被るだけで済ませる外国人の感覚が少しわかるような。
とはいえこれ以上雨が強くなったら辛い。急いだ。
10分くらい走り続けたように思うが、歩いて10数分の道のりなので、計算がおかしい。肉体疲労は体感時間を狂わせる。
家が近づき、安心感と疲れがわいたので歩いた。
ふと街灯を見上げると、線になった雨が白い灯りの中に次々と現れては、闇に消えていく。静寂の中に響く雨音と相まって、無常が心に染み入る。
街中で硬い屋根に弾ける雨音とは違い、葉に柔らかく当たり、土に吸収される雨音は、寛容を音にしたようでとても優しい。
いつまでも見ていたい。聞いていたい。
濡れすぎなければ、量が過剰でなければ、雨は結構好きなのだ。
空から水が降ってきたから濡れた。
ごく自然な成り行きが心地良かったのは、地球の営みに組み込まれていると、肌で実感できたからだろうか。
でも、やっぱり、傘を差すのだ。
限られた時間に、自分の分身と思えるほどお気に入りの傘を、存分に味わうために。