既知の言葉と自己の一致

自分の中にずっとある違和感に名前があると気づいた時。
そしてその名前が、今まで何千回何万回と耳にしてきたものだった時。
物語中で描かれて、客観的に見たり読んだり考えたりしたことのあるものだった時。

あっけにとられたというか。
これがその言葉だったのだと実を伴って知れたというか。
自分のことを棚に上げていた訳ではない。
無関係だと思い込んでいた訳でもない。
別の言葉に判定していたり、似た別のものと一体化させて見えにくくしてしまっていたり。
あとはまあ、輪郭がぼやけているものは見えないフリもしやすいと言うか。
解きほぐしと自己俯瞰は終わったと思っていても、さっぱり不完全だった訳だ。

ただし、私は言葉の意味がそもそもあまりわかっていないこともある。
自己の分析に言葉を使ったり当てはめたりできないとなると、自己理解がかなり遠回りになる。実際、なってきた。

答えはずっとそばにあった。
やっと気づけた。
これは幸運だったのだと思いたい。
これからの道標が、今まで聞いたり見たり読んだりしてきた中にあるのだから。

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