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お好きでしょ、こんなのも……!?
お嫌いですか、ロボットは?#70 博士のシェーカー
――いらっしゃいませ。
マスター元気? いやあ、今週もほんと疲れたわ。
――おや? 今夜もお疲れのようですね。しかもすっかり赤ら顔で。もう既にどこかで飲んでいらしっやったのですか?
いや、そうじゃないんだよマスター。天気予報でサクラ、サクラって言うでしょ。だからあまり気乗りしないけど、仕事帰りに近くの公園に行ったんだよ。そうたらホント、まだ満開とは言えないけど、いい塩梅の上品さで咲いててね。うれしくなって、近くのコンビニで缶ビールを買って、しばらくサクラを眺めてたんだよ。ここのところずっと海外が多かったからかな、ふた月ほど前に見た台湾の梅も華やかで見事だったけど、サクラの淡いピンク色っていいね。あらためて「オレって日本人だな」「日本の自然は美しいな」と思っちゃったんだよね。
――いつものでいいですか? ジャックソーダで。
うん、頼むわ。レモンをぎゅっとしぼってね。えっと、今夜のおすすめは「タラの芽とタケノコの精進揚げ」かぁ。へぇー……。あ、そうか、お彼岸だからだね。この時期は肉や野菜を避けた精進料理を食べるって、どこかで聞いた覚えがあるわ。さすがマスター、博識だねぇ。先週だったかな、近所を自転車でぶらついてたら、農協、今はJAだっけ? の特売所があってさ。芽キャベツとかなんとかの芽とか、普段見慣れないものが並んでたよ。オレは食べるのが専門で普段から料理もしないから冷やかしただけだけど、マスターが行ったら目を輝かせただろうなぁ。素人のオレでも、食べたらうまそうだなって思ったぐらいだもん。そうそう、マスターは仕事でシェーカー振るじゃない。大学の研究室に行くとさ、研究者のやつらって、結構うまいことシェーカーを振ってんだよなぁ……。
たしかマスターにはいつか話したよね。一時期、大学や高専でロボットを研究してる研究室を訪ね歩いてたって話。あの時さ、アポの時間調整やなんかで、学内の食堂やら講堂やらをぶらぶらしたわけ。学食なんてさ、未だに300円とかで食べられるんだよ。そこらへんにいる学生たちに声をかけて「腹減ってる奴はオレについてこい」って言いたくなるもん。10人ついてきたって3,000円でお釣りがくるんだぜ。未来ある若者への投資、社会への恩返し、自己満足と思えば、これほど簡単でお手軽な事はないよ。
スーツ姿のおじさんが学内をぶらぶらしてると、大学の職員だか研究者だか分からない、でも学生よりは年上と思しき若者から「どなたかとご面会ですか?」とか「ご用件はうかがってますか?」って声をかけられることがあるんだよね。学内のセキュリティー上の声掛けなのか、産学連携の用件で来た来客に失礼がないようにとの判断なのか分からないけど。若者だらけで若干の居心地の悪さを感じてる、明らかに部外者の中年のおじさんにとっては、そんな対応が心地良く感じたんだよね。
「アポまでにちょっと時間があるんで見学させてもらってます」なんて答えると、だいたいが「ああ、そうですか」と放っておいてもらえる。けれどもその時は違った。「お時間があれば、ウチの研究室でもご案内しますよ」と、ドアを開けて中に招き入れてくれたんだ。
学校によってまちまちだけど、大学の研究室ってのはワンルームマンションの一室ぐらいの広さで、入口すぐに応接セットがあって、壁沿いの本棚は資料で埋まってる。年配の教授の部屋には秘書役の人がいるけど、若手の研究者には秘書なんていなくて、下手したら応接セットのテーブルもイスも資料で埋まってる。気が利く研究者なら冷蔵庫からペットボトルのお茶や水を出してくれるけど、だいたいは茶も水も出ない。
そもそもそんなに気が利く人間なら、研究者なんてならずに就職してるわな。数学ができれば、昔から就職先は引く手あまただもん。恰好なんかも、なんとなく世間ずれした人が多い。あるひとなんて、作務衣にビーチサンダルだったしね、タオルで鉢巻きまでして。部屋に入れてくれた先生は、オックスフォードシャツにチノパンとスニーカーっていう、育ちのいい坊ちゃんって感じの恰好だった。
聞けば、バイオ関連の研究をしているらしく、研究室のほかに実習室という部屋を持っているらしく、カギを持って建物の1階に並ぶ部屋の一室を案内してくれた。小学校や中学校の理科室ぐらいの部屋で、中では白衣を着てマスクとゴーグルを付けた助手や学生らが、スポイトみたいなのを片手に、試験管みたいな細長く透明な筒だとか、ビーカーみたいな容器を見て記録を取ってた。
試験管を小刻みに振ってる若者がいたんで、冗談で聞いてみたんだ「うまいこと振りますね、夜はバーでシェーカーでも振ってるんですか?」って。そしたら真顔で「交代で24時間フルに記録を取ってるんで、バイトなんてしてる余裕はないですよ」って言うんだよ。今の若者がまじめなのか、その若者がまじめなのか分からないけど。
そのうち、作業がひと息ついたらしく缶コーヒーを飲み始めたんで、あれこれ聞いてみたんだ。「学生さん? 何を研究されているんですか?」みたいな感じでさ。そうしたらその若者、キタムラ君って言うんだけど、キタムラ君は「いや、大滝先生の研究室で助手をしてます。コメのDNAがあれこれ……」って研究テーマの話をし始めてさ。話題が質問からそれたと気づいたのか「あ、で私はドクターの後、2年前からここにいます」って言うんだ。つまり、大学院で修士と博士の両課程を終えて博士号をもらい、名実ともにドクターになっても、ほかのドクターと交代しながら24時間試験管を振ってるっていうことなんだ。
英語で同じ「ドクター」の医者でも博士号を持っていない人もいるから、医者よりもえらく、それぞれの学会で認められた人こそが博士なのだ。日本人にはあまりなじみがないけど、外国ではドクターに対して名前を呼ぶときは必ず、ミスター誰それではなく、ドクター誰それと敬意を払って呼ばれる。黒色とかプラチナ色をした、年会費が高額なクレジットカードでは、名前の前にMr.とかMs.だけでなくDr.なんて印字をしてくれるらしい。まあ、LGBTなんてうるさく言われる今じゃ、どうなってるのか分からないけど。
で、その博士さまが自ら試験管を振るなんて、よほど研究が切羽詰まってるんですか? って聞いたら「いや、どこでもこんなもんじゃないですかねぇ」って言うんだよ。マスターなら聞いたことがあると思うけど、むかしなら出来のいい子どもに向かって「末は博士か大臣か」なんて言うジョークがはやったじゃない。その博士さま自ら試験管振ってんだよ、交代しながら24時間。大滝先生は?って聞いたら「奥にいる」ってんだ。だから大滝先生に言ったんだ。「はじめまして、私はこうこう、こういう者です」って。
たった今キタムラ君、いやキタムラ博士に聞いたことを確かめたら、大滝教授は「そうです」って言うんだよ。だからこう言ったんだ。将来の大先生に試験管なんか振らせず、もっと高尚な研究でもさせた方がいいんじゃないですか? って。試験管やシャーレに定量の液体を入れて攪拌(かくはん)するなんて、ロボットにやらせればいいじゃないかと。記録だって残るしさ。試験管ぐらいの重さなら、800万円もあればシステムが組めるから、どこかから研究費ぶんどってきてください、ってね。
さっそく会社に帰って、かんたんな構成図を書いたんだ。展示会のデモで使い倒した古いボットや周辺機器を倉庫から引っ張り出してさ。オレの手間賃を加えて500万円の破格で提案書と見積書を書いて、大滝教授にメールで送ったんだ。そうしたら「やる」って返事が来てさ。しばらくその研究室に通ったよ。ヒトがやる作業とロボットにやらせる作業を整理してさ。若い研究者には学校中を回らせて、工学系の研究室で使われなくなった棚とかパイプとかを探してもらってさ。足らないものは近所のホームセンターで買ってきて、週末に組立作業をしてもらってさ。
1カ月もすればそれなりに形になって、バグも修正した立派な自動化・省人化のシステムが完成したんだ。今じゃロボットを買い足して、3台にまで増えてね。研究だって3年かける予定が1年で結論を出せちゃったんだ。それで別の財団からも研究費をぶんどってきて、来年は協働ロボットを2台使しようってさ。キタムラ博士は今、別の大学で自分の研究室を持って研究を始めてるよ。もちろんその研究室でもロボットを入れてくれてね。ノーベル賞だって、彼ならきっと夢じゃないさ。
――若い人には夢があっていいですね。夢が無限に広がって、どんな夢も叶うような気がします。ノーベル賞だって、夢じゃない気がしますね。キタムラ博士のこれからが楽しみです。たにがわさんも、いい仕事をしましたね。お代わりをお出ししましょうか? お付き合いしますよ。
■この連載はフィクションです。実在する人物や企業とは一切関係ありません。
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