お好きでしょ、こんなのも……!?
お嫌いですか、ロボットは?#103 ひるめしのもんだい
――いらっしゃいませ。
マスター元気? いやあ、今週もほんと疲れたわ。
――おや? 今夜もお疲れのようですね。年越しの準備は整いました?
いや、そうじゃないんだよマスター。今年はカレンダーの都合で、どこの会社も昨日が御用納めじゃない。暮れのあいさつ回りで家の掃除どころか、事務所の掃除も手つかず。今朝も出社して、ようやく事務所の掃除を切り上げたところ。なんとなく掃除しました、って感じだけで、事務所が格別にきれいになったわけじゃないよ。最後に机の上を水拭きして、鏡もちだけは飾ってきたんだ。
――いつものでいいですか? ジャックソーダで。
うん、頼むわ。レモンをぎゅっとしぼってね。えっと、今夜のおすすめは「北海道産ししゃものあぶり」かぁ、珍しいねぇ。カラフトシシャモのカペリンはその辺のスーパーにもあるけど、天然のシシャモは資源保護だとかなんとか言って、なかなか本州まで出回らないって聞いたことがある。実はオレも、初めて実物を見るよ。へぇー。そうそう、珍しいと言えば、最近はどこも人手が足らないって言うじゃない。飲食業界も、ホント人が集まらないらしいねぇ。ところがさ、駅前のランズミッドビルに入ってる自動車メーカーの食堂は、学生やフリーターなんかの若い人からの人気も結構高いらしいんだよなぁ……。
その自動車メーカーが入ってる、駅前のビルはマスターも知ってるよね。46階建ての超高層ビルって触れ込みだけど、残念ながら屋上から見渡しても富士山は見えないんだなぁこれが。で、40階までがいくつかの会社のオフィスで、その自動車メーカーはその半分の20階分ぐらいをオフィスとして使ってるんだ。
もっとも、低層階の商業フロアには自動車のショールームがあったり、自社専用の受付を置いたり、ビル内のタワー式駐車場の大半がその自動車メーカーの所有だったりする。まぁ、ビルの所有者が自動車メーカーの子会社だから、その辺はいろいろあるわねぇ。
自動車メーカーが持つ20階分のうちの3階分は、実は吹き抜けの社員食堂なんだ。自動車メーカーだけでそのビルに3、4,000人も働いているから、社員食堂ぐらい作らなきゃ、駅前の飲食店は自動車メーカーの社員だらけになっちゃう。駅前の他の会社に勤める人はえらい迷惑だわねぇ。
だいたい社員の半分が食堂を利用して、半分が外食するらしい。部署ごとに昼休みの時間を30分ずらしているんだけど食堂はいつも満席だし、外食しようにも来るエレベーターがどれも定員オーバーで目の前を素通りして、ビルを出るころには休憩時間を15分ぐらい過ぎてるらしい。オフィスに戻るにもそれぐらい時間がかかるから、食堂で済ますのも外食で済ますのも、それなりに大変らしいよ。
社員食堂だから、福利厚生の扱いで会社から補助が出るから、何種類もある定食がワンコインどころかペットボトルのコーヒーやお茶が飲めるぐらいのおつりが戻ってくる。社員はただでさえ高給取りだから、われわれからすればかなりの好待遇だよねぇ。
で、問題はその社員食堂さ。毎日昼どきになると、新幹線の一車両分を超える1,500人以上が30分差でどっと押し寄せるわけさ。一度に700人だよ。腹を減らした700人は、虫の居所がいい人ばかりじゃない。割り込んだとか、足を踏んだとか、嫌いなヤツと目が合うかもしれない。そんな700人が押し寄せるんだから、食堂で働く人も全力で対応する。
中には、盛りが悪いとか、トマトが1個少ないとか、肉の脂身が多いとか、客からいろいろ言われるみたいなんだけど、食堂で働くスタッフも、大人数をこなすのが精いっぱいなんだ。1,500人から2,000人をさばいた午後2時過ぎには、みなその辺でへたり込んじゃうぐらいにね。
だから当然、大変さについていけず離職率も高いんだ。時給は周りの飲食店より高いけど、比較にならないぐらいとにかく忙しい。何が大変かと言えば、30分差で訪れる人の波に合わせるように、食べ終わって空いた食器を確保することなんだ。
マックスで2,000人分の食器やトレーをそろえる、つまり在庫を持つってのは保管スペースを考えれば現実的じゃない。何せそもそもが駅前の一等地で、トレー一枚分の地価は100万円を超える。「在庫は悪」「ジャストインタイム」がモットーの自動車メーカーにしてみりゃ、ムダを放置できないってわけ。
食堂を任されてる運営会社にしてみりゃ、そうは言われても人が居つかなきゃ、ってのが本音だわねぇ。で、あるとき管理する自動車メーカーの総務部の人に相談したらしい。なんかいい手はないですかねぇと。
その総務の担当者ってのが、実はかつて三河工場の総務担当をしてたらしい。そこで、三河工場時代に知り合った、生産技術の担当技術者に相談したんだってさ。
じつは、その自動車メーカーは三河に10ヵ所も工場を持ってて、一部の管理職を除いて、いや含めても一番の関心事は社員食堂の味、つまりうまいか、うまくないかだ。それこそ工場全体の士気に影響するからねぇ。
あたり前だけど、工場は大都会にはない。田舎なんだ。最寄りのコンビニまでクルマで10分、15分はかかるし、工場の持ち場から駐車場までだって、5分や10分はかかる。ましてや外食するとなると、ハードルはずいぶんと高い。工場の社員食堂とは、まさに工場の生命線と言って過言じゃないんだよ。そして、どこぞの工場の食堂がうまい、うまくないとのウワサは瞬時に三河中の全工場に広まる。
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