すべては鬼灯の冷徹から始まった
たまーに、ごくたまにある親のいない金曜日に、クレヨンしんちゃんを見ることが子供の頃の楽しみだった。鬼の居ぬ間に洗濯、とでも言えばいいのだろうか。我が家ではクレヨンしんちゃんを見ることは禁止されていた。馬鹿になる、と言われて見れなかった。よくあることだが、禁止されているからこそ見たくなるものだ。クレヨンしんちゃんに限らず、漫画もアニメもそうだった。禁止とまではいかずとも、漫画よりは児童書を、アニメよりは教育番組を、という家庭だった。とにかく、「馬鹿になる」という文句が私には相当効いたらしい。小学校、中学校と見たいなあと思ったことはあったが、馬鹿になるよりましだと思い込むことに成功していた。(だから勉強も進んだのかもしれない。)一方で、私はみんなとは違う、という意識がそうさせていたのかもしれない。
高校で私はある友人に出会い、ある作品をすすめられた。それが「鬼灯の冷徹」である。友人に借りて読んだ地獄を舞台に繰り広げられるドタバタコメディは、学習漫画ではないけれど、地獄という場所について資料に基づいた描写がなされており、勉強にもなる側面があった。そしてなによりキャラクターが面白い。また、鬼の中の鬼、といわれるけれど鬼灯は元人間である(しかも人身御供)という薄ら暗い設定にドキドキした。歴史と宗教、そこに絡む美術、人間の欲望と人ならざるものの捉え方…さらに、日本画タッチの扉絵が美しいのなんの…色使いも勉強させていただいた。漫画に渋っていた親も、鬼灯の冷徹を通して少しづつ、漫画自体を容認するようになった。そこから色んな作品を読むようになった。アニメも見るようになった。ニコニコ動画にも大変お世話になった。こうした中で、好きなものは自分から調べるし、勉強するものだ、ということを学んだ。
鬼灯の冷徹の次に出会ったのはヘタリアだった。おかげで世界史は盤石だったし、英語ができなすぎて日本の中で生きていくんだ!!!世界なんか知らん!!!となっていた私に世界の面白さを教えてくれた作品だった。その次は暗殺教室。文庫本派だった。この3作で私の基礎の基礎はできている。今でも大好きだ。そしてワカコ酒を知って、女性だって一人で飲んでいいんだと思えるようになった。おかげで酒飲みになった。最後はベルサイユのばらだ。美しさとはこういうものだと教えてくれた。(今書いていて思い出したが、ベルばらとのだめカンタービレは家にあった。なんでこの2作は家にあったんだろう…)もし、思春期真っ盛りにベルばらに出会っていたら、ベルばらに相当影響されただろうと思う。
鬼灯の冷徹に出会わなかったら、こうはなっていなかっただろう。今の私が正解かどうかは知らないが、世界を広げるきっかけをくれたのは間違いなく鬼灯の冷徹なのだ。鬼灯の冷徹は完結した。完結しない、できないと思っていた私にとって衝撃的な発表であったが、鬼灯には死んだら会えるな、と思ったら大丈夫だった。(会うのは当分先でいい。)漫画やアニメを禁止したから健全に育つわけじゃない。その表現でしか響かないものだってある。表現方法をいろいろ知っておくことだって、生きていくには重要だ。そんなことを言いながら、今日もお世話になっている。皆さんはどんな作品で構成されているのだろうか。
<私を構成する5作品>
・江口夏実「鬼灯の冷徹」講談社
・日丸屋秀和「ヘタリア」幻冬舎
・松井優征「暗殺教室」集英社
・新久千映「ワカコ酒」ゼノンコミックス
・池田理代子「ベルサイユのばら」集英社
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