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たぶん病んでたと思うんだけど、な話

 推しを浴びてよし私も頑張ろう! と思った昨年末から2か月(詳細は「その道、未だ途中」を参照)。それから頑張ったのかと言いますと、恐ろしいことにめっちゃ停滞していた。それはそれはびっくりするくらい停滞していたのである。「停滞していた」と一応過去形で言えるようになった今日、院生になってからn回目の停滞とその要因についてまとめておきたいと筆を執った。こんなへっぽこ院生もいるんだな……と読んでもらえれば幸いである。 

100%の自責

 後期博士課程2年の冬とは、博士論文を書きはじめる(まとめ始める)時期らしい。この事実を「らしい」と書いていることがまず大きな間違いであった。何年生のいつ頃にこれをしなければならないというのは専門によって大きく異なるが、博士論文の審査日程については各大学がスケジュールを公表している。そのスケジュールはおおよそ同じである。つまり、博士論文だけに着目するのであれば後期博士課程の学生のスケジュールは似通ってくるので、まあ大きく外れてはいないと思いながら書いている。博士論文の審査要項は分厚い。その分厚い要項がネットでダウンロードできることさえ私は先月まで知らなかったのだった。
 きっかけはなんだったか忘れたが、私は1月の中旬にようやく所属先の要項を入手した。そこで気づいた。博士論文の提出まで1年足らずであること、そして最終審査会がちょうど1年後であることを。遅い。遅すぎる。ついでに博士論文の審査には15万円の審査料(内部進学者は半額)がかかることも知った。これもまたショッキングであった。
 幸い審査要件の博士論文の核をなす投稿論文の数は足りていた。だから、博士論文をまとめればいい、という話になるのだが――博士論文の書き方がわからないことに気づいたのだった。阿呆だ。あまりに阿呆。投稿論文がかけるのだから、それを長くして要点を増やしていけば博士論文になるだろうと思っていたのである。どうも違うらしい。博士論文には博士論文ならではの求められる要素がある。これは専門によって異なると思うので割愛するが、よく確認したほうがいい。
 と、これらは自分の落ち度であるので、修正すれば事足りる。実際これらに気づいた時はかなりのショックを受けたが、若干の停滞とモチベーションの低下程度であった。何やってんだ自分は……と落ち込んだ感じだ。

50%の環境

 院生生活も5年目。もう1月2月がどんな季節かなんてわかっていた。年度末+4年生の卒論提出と卒論報告会がある。ゆえに、先生の機嫌が本当に悪い。ホルモンバランス悪いんかな? と思うくらい突然機嫌が悪くなるし、会話が成り立っているかさえわからないときもある。こちらの言い分なんてのはいつも通らないのだが、それがえらい強化されてもう本当に大変なのだ。それで毎年いらない苦労をしてきたので、今年は割り切ろうと思った。これはいつもの風物詩だ、と。
 結局、そううまくはいかなかった。今年の4年生は……とか言いたくないが、まあ、そんな感じで。修士の後輩もこういう時に限って失敗するもので、本当にうまくいかなかった。他人が怒られていると周りのパフォーマンスも下がるってのはマジでそれだよなあ……と思いながら、先生のサンドバッグになりつつ、時を過ごした。時は無常に過ぎていった。

考え方の変化は突然に

 自分の落ち度と環境によってもみくちゃにされたのが大きな要因……と言いたいところだが、そんなのはいつものことなのだ。今回、私の停滞が長引いた要因が考え方の変化である。

 院生に問いたい。あなたはなぜ進学したのか。

 修士で修了する予定の人ならより良い就職をするためも多いだろうか。後期博士課程に進学した人はおおかた「研究がしたいから」だと思う。そうらしい。私は「大学の先生になりたいから」だった。今や18歳人口の50%が大学へ進学する時代、社会に出る最終段階は大学になりつつある。研究機関に加えて教育機関としても大学はその役割を期待されるだろう――とかいうのは後付けで、中学の教員になる予定だったのを指導教員の話に乗せられて大学の教員へシフトチェンジしたのだった。大学の教員になるには研究もしなければいけないらしい。ので、研究をしている。
 大学教員になりたいというのは結構強い気持ちだったのだ。これまでも辛い向いてない辞めたいと思ったことは多々あるが、夢をあきらめるのか? それは嫌だなあ……という納得の仕方をしていた。自分は研究大好き人間ではないが、大学教員になるのにいるんだから仕方ねえ……とやってきたのだ。
 が、今回は違った。大学教員にうまみを感じなくなったのだ。どうしてそう思ったかは割愛する。いろんな裏側を知って、なりたいと思ってきたものがそんなに良いものではなかったと思っただけのことだ。むしろ、なりたくないなと思った。なりたくないなら、辞めるのは素直な手段だ。私は辞めるべきだなと思った。

辞める面倒と世間体、そもそも「したいこと」がない

 しかし私は辞めていない。主な要因は上の3つだ。結局面倒事に勝つほどの熱意もない。そして、世間体だ。博士後期課程まで進学させてくれた両親を想えば、辞めるとはどうしてもいえなかった。最後に、辞めてなにをするのかが全くなかった。
 加えて指導教員から植え付けられた価値観は次第に自分にものになっていた。なるほどこれが洗脳かと思う部分も多少あるが、困ったことに自分がそれで納得している。だから、駄目なのだ。税金でここまで勉強させてもらった末に飛ぶのか、と。ぼんやり宙を見上げて生きるなら死んだ方がいいなとも思った。
 人間、普通は死にたいとかって考えないらしい。それなら私はここ数年普通じゃないのだろう。(そんな人は多いと思うので嘆きはしないが、こんな人間がおおい今の者かいってどうなんだろうとも思う。)首にまとわりつく紐が日に日に細く、固くなっていく。ピアノ線のような針金が首に巻き付いて、締めるのではなく、ゆで卵をタコ糸で切るように私の首が飛ぶ。そんな画が浮かんでいる。何者にもなれないなら、首は飛んだ方がいいのだろうなと思いながら、実行するだけの元気もないので大学には行く。(行かないと先生にメールをしなければいけない。これが嫌で大学には行く。)行くが、するのはカモフラージュの勉強ばかり。土日と先生が出張でいない日はいい塩梅に休む。休むと言っても、何をしたわけではないのだが……。
 そうやった結果、この一か月、私はたぶん、本当に何もしていなかったのだと思う。おかげで今の私は困っている。困っているが、死ななかっただけいいやとも思っている。

自分の売り方

 さて、じゃあそこからどうして「しょうがねえ、博士論文を書くか……」に転じたのか。正直わからない。時間が傷を癒したのかもしれない。先生と会う機会がちょうど減って、脅威から逃れていたからかもしれない。指導教員を脅威と感じる時点で駄目なのだという大前提は置いておく。VD旦那のようにゼミに入ってから、院生になってから激変するタイプもいる。また、研究だけみれば優秀な人は大学教員に多いのだ。だから諦めろとは言わないが、私としては、どうにかすればあと1年なのだ。解放が近い。1年でどうにもならねえよと嘆いていたが、留年したからといってどうにかなるわけでもない。ようは諦めと発想の転換だ。結局、ありがちな結論になってしまう。わかっているなら悩む必要なんて最初からないのだが、わたしはどうもそうはならない。
 進学は、研究大好き君に向いていると心の底から思う。今の日本における博士号取得者の就職を見ると、研究が好きならなんだって乗り越えられるだろう。もちろん、別の悩みもあるだろうが、今の日本は研究さえできれば大学教員も研究所の職員にもなれる。それ以外の要素は別に期待していない(あればへえ、くらい)のをひしひし感じる。私は求められている人材ではない。

 じゃあ研究もできるようになって、それ以外もできるのでお得な人材ですよって売りますか。

 今の私はそう思っている。


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