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記号としての髪

髪は記号だと思う。顔は確かに印象を決めるけれど、髪は長さだけで性別を感じさせてしまう。すごくすごく短かった頃、男性に間違われることがしばしばあった。髪が短かったのは柔道のためだった。だた邪魔だったから切っていた。それだけだ。長いと口うるさい人たちも短い分には何も言わない。「スポーティーでいいね。」言われるとしたらそんなものだったし、髪が短ければ短いほど強く見えるという謎もあった。強く”見せるため”に私は髪を短くしていた。

そのうち柔道をきっぱり辞めて、そうだ、髪を伸ばしてみよう、と思った。よくなにか心機一転したいとき髪を切る人がいるが、私には切るだけの長さがなかった。もっとも、切ったところで新しい私にはなれなかった。私の知らない私は髪の長い私である。よし、伸ばそう。3年前のことだった。

伸ばすと決めてから1年後、やっと縮毛矯正に耐えうる長さまで伸びた。伸ばす最中が大変だった。癖を生かすヘアスタイルやアレンジなんていうけれど、もともとを活かすのは大変だなあと本当に思った。そこで殺してみることにした。タンパク質をつなぎなおす。DNAに刻みこまれた配列を化学で壊す。個性の白紙化だ。つくられた、人為的な直線。背徳的な要素が今考えればこんなにもある。ぞわぞわする。初めてストレートにした日、鏡に映った私は紛れもなく初めて見る私だった。単純なのかな。それでもあの時、私は間違いなく”変わった”と思った。

髪を伸ばしてわかったのは、髪が長いだけで勝手に女性として認識してもらえるということだ。わざわざ自分で女性であることをアピールしなくて済む。「女性1」として街を歩ける。これは楽だった。そう、髪を伸ばしてわかったのは見ただけで判断できる記号を持つことの楽さだ。他人が勝手に判断して納得できる記号の存在は、ただそこに生きることをずいぶん簡単にしてくれたと思う。

私は髪が長い自分が好きだった。スカートもブラウスも、ワンピースだってちゃんと似合う。私が敵と思っていた女性らしい服たちは、髪型のせいで似合わなかったのだ。

初めてストレートにした日から2年。私は髪を切った。20cmは短くなっただろうか。私は女性として認められたかったんだ、ということを受け止めることにした。ただ、普通に一人の女性として扱ってほしかったんだな、きっと。髪が短くなっても、その記号を捨てても、きっともう大丈夫だと思った。短くなった私を鏡の中に見る。なんだろう、恥ずかしいような諦めがついたような、それでいてさっぱりした顔をしていた。きっとこれから先も、記号とは付き合っていかなきゃいけないけど、逆にうまく使ってやんな。切り離された分身がそう言ったような気がした。風に吹かれて、切りたての毛先が首筋に触れる。これまでにない感覚にふわふわする。うん、これも自分ってことで。そうだ、これから先は「人間1」で街を歩こう。記号に縛られていたのは私だったか、と日暮れの空につぶやいた。

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