いきなり岐路に立つときもある
私には行き詰まった時、一息入れたい時、気分転換したい時に必ず行く場所がある。場所というか部屋なのだが、そこからはとてもきれいに山が見える。地元では信仰の対象になるくらいの独立峰で、ここに住んで5年目ともなれば、ちょっとした心のよりどころになっていた。
このご時世でリモートが進み、使っていない部屋がたくさんある。その部屋もいつもなら人がたくさんいるのだが、今はすっからかんだ。私以外誰も使わないように見えるその部屋で最近考え事をすることが多い。
自己暗示、という言葉は聞いたことがあるだろう。ネガティブになることが減り、新しいことに挑戦しやすくなるらしい。基本的にいい方向に進むための方法である。この前友人と話していたら、「にぐちは暗示をかけるのがうまい」と言われた。そんなことは言われたことがなかった。しかしそこで気づいた。暗示をかけた世界の中で、これまで私は生きてきたのではないのか、と。逃げられない状況の中で、逃げないために自己暗示を使ってやってきた、と言い換えればそんな気がする。できる、やれる、問題ない。そんな言葉は聞き飽きた。じゃあ実際はどうなったのか?成功はしていないのである。及第点、くらいで。及第点もおまけで合格、みたいな。なんにも成功なんて掴んでこなかった。じゃあ成功するように頑張ろう!という方向でやってきたが、最近気づいてしまった。そもそも、その道で成功する必要はどこにあるのだろうか?
Aになるとしたいことができますが、そのためにはBをし続けなければなりません。あ、でもAになれるとは限りません。Aになれなかった場合、残るのはBだけ。
私はAになりたかった。それでしかたない、Bをやるか、とやってきたが、基本的にBはしたくないことであった。したくないというか、向いていないというか。Aの本分はBをすることなのだ。私がAになってしたかったことは、Aの本分ではなかった。
哀しいものだ。
あの部屋で、山を眺めながら、将来像を考える。明るい未来なんて、どうしたって描けない。ぼーっと意識を飛ばしていたら、どこからかアンパンマンのマーチが浮上してきた。
なんのためにうまれて なにをしていきるのか
わからないなあ。人生って難しいなあ。そこまで生きれるかもわからないのに、なんであと何十年先のことも考えて今を生きなきゃいけないんだろうなあ。