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かもめ食堂でお腹がいっぱい

『かもめ食堂』

フィンランドで「かもめ食堂」というお店をもつ日本人女性が主人公。ふと出会う人間が人生のかけがえのない仲間になっていく様子がリアルで、その空気感がくすぐったい。この世のどんなにのどかな場所に行っても、寂しさや不安で足がもつれている人がいる。うまく歩けなくても、きっとはるか遠いかもしれないどこかで、思わぬ出会いに癒され、寂しさや怒りとかいうモヤモヤが少しほどけるのだと。

開店してからというもの一カ月間来客が無かったかもめ食堂の、記念すべき最初のお客さんとなった「日本かぶれの少年」、トンミ・ヒルトネン。アニメをこよなく愛して日本に出会い、日本語を使いこなす彼のすべてがなんともリアルなのだ。日本で出会う留学生に見られるような「オタク」の特徴を面白いぐらいに映し出している。日本人が意識していないような文化でさえも、我々よりずっと愛していて、大きな憧れを抱いている。苦笑いしたくなる知識の偏りを感じつつも、普段は大人しい彼らがリスペクトをもって真剣にスキを表現してくれるのは素直に嬉しい。
しかし必ずしも日本の本当の食文化や人間性を知っていて、そのありのままを愛しているわけではなくて、寂しくなることもあるのだった。

日本地図上でランダムに指さした場所、フィンランドで目的もなくさまよっている、みどりさん。そんな時に主人公に出会い、招かれた自宅で白米を口にしたとたんに涙が溢れる。どうしようもなく投げ捨てたいものを置いて独りで放浪している。フィンランドは何も言わず、そのままを迎え入れる。

みどりさんとトンミ・ヒルトネンの言語を超えたコミュニケーションで「心が繋がる」のを見ていると、やっぱり人柄は仕草で分かるモノなんだなと。

北欧と出会ってしまった

スウェーデン人の友人との出会いは私の生活を一変させた。IKEAに遊びに行くことがあっても、北欧が我々の想像する「海外」として人生に登場することも無かった。人間性として最高にマッチした彼とは、北欧での様子、日本と北欧の違い、双方の良さ悪さについて語った。『北欧時間』を読んでからは「意見を持つが人に干渉しすぎず自分の時間を大切にする」そんな文化が今の自分になんとも合っていて、そんな国がこの世界にあったことが嬉しくてたまらなかった。なんと表現しようか、「帰る場所」って感じがした。

そうして北欧を知る度に、「心に北欧を飼わなければいけない」と思うようになった。

日本人の本来の形としての集団主義的な部分と、戦後強いられた個人主義的な部分で行ったり来たりしている我々は疲れている。どちらにも行き過ぎない我々は確かに最善を尽くしているのかもしれない、でもどちらを選ぶ時も少し無理していると感じる。

分化が交わるということ

みどりさんはあまりに来客が少ないこの状況を脱却すべく、日本食のお店としてガイドブックに載せることや、メニューの改良を提案する。おにぎりの具を、梅や昆布などのあまりに日本的なものではなく現地の人が好きなモノ、ザリガニとか鹿肉、ニシンにしてみるのはどうかと。
しかし主人公にしては来店のきっかけは些細なものでいいと言い断った。ふと通った道でなんとなく入ってみるカフェとか、なんとなく居心地がいいからもう一回行きたくなるような。もの珍しさや一回きりの出会いではなく、そこでこの雰囲気や良さに気が付いてくれる、そんな人に来てほしいから。

「このお店ずっと来客がないわね」とこそこそ井戸端会議をする3人グループのおばさま達は、いつも窓から覗くだけで、足を踏み入れることは無かった。ある日主人公が思い付きで焼いた、シナモンロール(スウェーデンの伝統的なパン)の香りに誘われて来店。それからというものフィーカ(日本で言うお茶)の会場として通い、すっかり常連客になったのだった。日本好きなトンミ・ヒルトネンも最初のお客様として特別無料で提供されるコーヒーを嗜み、それ以外注文することは無かった。

この映画を通してお客さんに対して日本食を勧める様子は映されていない。この町でもの珍しい焼き鮭定食、生姜焼き定食、梅おにぎりなどは誰も注文せずじまいなのだった。海苔とか、食べたことないし、ね。笑
徐々に、些細な事の積み重ねで定食やおにぎりを頼む人が増えて行き、ついにかもめ食堂が満室になった日、主人公は不思議な、しかし満たされた気持ちで過ごしたのだった。

これらは、「今、ありのままを受け入れてもらう」という考え方が必ずしも文化交流ではないということを指している。
きっかけはコーヒーの香りだって、シナモンロールの香りだっていい。自然に目に入ったものを拒絶も、共感もせず、目に入れればよいのだ。

映画を観るということ

『かもめ食堂』を観た日、フィンランドが舞台の映画『枯れ葉』も観た。正直に言ってしまえば、なぜ絶賛されているのかを私には説明できない。しかしながら北欧に染まっている私が、フィンランドの雰囲気や生活を嫌なぐらいに味わえる良い機会となってしまった。画面に映るほとんどの人の瞼がㇵの字に落ちたまま、固まっている。ネガティブってわけじゃないが、簡単に言ってしまえば、暗い。
お店をもつゆっくりとした映画、『Bagdad Café』が思い出された。どちらも黄昏の雰囲気があり、孤独や不安を孕む静けさに少しずつ変化が表れていく物語なのだよ。大好き。

映画を観ること、それは私にとって勇気がいること。誰かの人生を覗きこんで、予測不能に揺れ動く波に身を任せることは異常に疲れる。作者の「必ずこう受け取ってほしい」、そういう少々厚かましい意図が押し寄せてこない作品は、ディープな意味で「出会った!」と言える。
長時間その画面だけに脳が吸い込まれていると結構なダメージを受けてしまう。だから私が人生で見た映画の数は人と比べると少ないと思う。

それを差し置いても、映画は言葉を選ぶ重要性、人間性が現れるそのトーンや速度を改めて意識して発話しようと思わせてくれる最高の存在だ。
『かもめ食堂』は特に自然体でいる登場人物の話し声に注目させてくれる作品なのだった。

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