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離れ屋に迷い込む

2024年、年が明けてすぐ祖母が住む広島を訪れた。目に映しておくべき景色や美術館の数も多い広島で、「ひろしま美術館」だけはどうしても行かなければいけない。人は一度惚れてしまったら、それを確かめたくてなんとしてでも会いに行こうとする。

過去に「ピカソ展 青の時代を超えて」が開催された際にこのひろしま美術館を訪れた。ピカソは画家として生まれつきの天才だと言われている。どの時代にどこで展示をしたって人は喜び訪れ、感動し喉を唸らせる。その日の私は原田マハさんの小説に出てきたピカソの愛人ドラのロボットのように、ピカソ節万歳に描かれた横顔を見て舞い上がりそうになった後はピカソの才能に「なるほど」と納得しているだけだった。

常設展

大体の美術館では特別展が行われると同時に、常設の作品が展示されている。この美術館が大好きなアンリ・ルソーの作品を一つ所有しており、いつか行かなければとは思っていた。しかしながら同時に、常設展というのは誰かが所有して満足しているだけの作品展だろうと軽視している部分もあった。
大間違いだった。
ゴッホやルノワール、モネ、ゴーギャンの作品が当たり前のように並ぶ。さらにはポール・シニャック、ピエール・ボナール、スーラまで!
目をギラギラさせながら平然と並ぶ絵の前を練り歩いていた。

離れ屋

どれほどの時間が経っただろう?私は印象派の並びにしては大きなサイズで、落ち着いた色をした絵の前に居た。というかそこから離れられなくなってしまった。絵の前を前後にゆっくりと歩く。すると絵の中で私がこの「離れ屋」へ続く薄暗く細い道を進み、また離れていく。

アンリ・ル・シダネル、フランスの画家。彼の空間の切り取り方、色使い、筆捌きに完全に虜になってしまったようだ。ついさっきこの繊細で何度も何度も重ねられた絵の具がちょっと足されたばっかりのように感じる。絵の具が固まって一つの作品になって、壁の前で吊るされてからうんざりするほどの時間が経ったはずなのに。

今こうしてジッとしたまま離れ屋の前で時間が流れている。銀行として活躍したこの建物で、常設展は今まあるい空間を囲むように並ぶ四つの部屋で静かにしている。平日の昼過ぎ、パラパラと人は見られる。かつて銀行だった頃の名残りだろうか、展示のために打たれたのか、「2」が入口のてっぺんに置かれたこの部屋が今夢のような空間である。まあるい空間で一歩ずつ一歩ずつ歩く丸いメガネをした監視員がチラチラと目に入る。ゴッホはもちろん鮮やかに分厚く、入ってすぐ真ん中に鎮座している。一部屋全部抱きしめたいぐらい大好きだが、淡い、しかし近くで見れば見るほど「灰色」に近い色で統一された右奥の離れ屋が煌々と光って見えた。

離れ屋の小さな窓には光が灯っている。蛍光灯の青白いものではない、暖かい、人間が食卓を囲むリビングにはもってこいのオレンジの光。この作品の中では驚くほど鮮やかなこの色は咲き乱れるバラの間を行く道を、地面に落ちたその何輪かを踏みそうになりながら歩き進ませる。この窓の向こうではどんな人が、もしかしたら動物が何をしているのかな。少しぐらい覗いてもバレないかな?
そんな窓から漏れる光の一部が、印象派を感じさせる分厚さで大胆に塗られている。その命取りな数回の筆捌きを、彼は迷わずできたのだろうか?3Dで画像を作る技術がない時代に、この奥に広い絵が出来上がっていく情景を思い浮かべてみる。そうすると彼も私と同じように同じところを見つめたまま、前へ後ろへと歩き作り上げる世界の一筆を確かめながら置いているところだった。何時間もかけて塗り、何日も乾かして、また睨めっこしながら塗る。その作業が小屋の奥の暗闇に包まれた林を林として生かし、離れ屋を咲き乱れる薔薇の木の中に隠し込み、窓から暖かいオレンジをこぼした。

アンリ・ル・シダネルは自宅の庭をバラ園にし、さらには村じゅうバラだらけにしようと提案したそうだ。現在そんなジェルブロアという村はフランスで最も美しい村の一つであり続けているらしい。

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