苦労人の絵が好き 『リボルバー』
どうしたらこんな文が書けるのだろう。
こんなに人を引き込む魅力を秘めた文を描きたい。
イスに座り前のめりになることで折り曲がるお腹と背筋がぞくぞくする。身震いするほど寒いような、不快なほど体の芯が熱いような、訳が分からなくなる。
知ってる画家の人生、出会ったことのある作品が物語の中でリンクしていく度、自分のために書かれた文かのように思えて、嬉しくて目頭がジワっと熱くなる。
自分:学生として
美術史の沼にはまり、出会ったばかりの趣味を我が物顔で、立派な研究としてできたら夢のようだと思った。約束されたかのようにいつもギリギリで、グツグツと煮立つ気合と唯一向き合ってきた英語を出来る限り活用し現在の大学に入った。
ガムシャラだった。これしかない。
これを逃したら学歴も職も手に付かずそのままくたばるんじゃないかなんて思った。
それまでの教育に全くと言っていいほど適しておらず無き道を、見かねた親の助けもあり右へ左へと渡ってきた。同じ場所に留まることができない体が、自分にとって、何より親にとって世話が焼けることに困惑し続けた。
「日本逃亡してやる」と偉そうに言って海外留学に行くことで自己を紹介できるステータスは保たれていた。そうして自ら遅れをとり続け、輝かしくあるはずの10代を通して精神的に通常とは言えなかったと思う。
こんな人間が、コツコツと真面目に青春を、勉強を、悩みを乗り越えてきた同じ年をした青年たちと同じ場所にいると思うと罪悪感を感じる反面ニヤッと笑ってやりたくなるのは少々性格が悪いだろうか。
自分:今
そんな「衝動」に任せてフラフラとやっていると、やはり逃げ出したい時期がまたやってきた。自ら飛び込んだ大学という檻が苦しくて、全部放り投げてまっさらな状態でどこか遠くへ行きたくなる。
休学、留年、就職、親、金、プライド…
濁った色をした文字が頭の中をぐちゃぐちゃにする。
何度も繰り返し「歳が解決するよ」と大人は言った。なのに一足遅れて、酒は飲めならしいが大人と呼ばれる18になっても、19になっても世話が焼ける自分にウンザリした。
美術史沼と、「なぜ生きるか」をひたすら考える哲学の親密な関係性に魅了され、研究職に就こうと意気込んだばかりだった。
しかし研究というのは、ましてや哲学をするというのは、10完成した概念を11に進化させるか、10の一部を否定し9にするかのどちらかだと気が付いた。変化を求める私に適した職業なのかと問う時間は暗く、今までの選択が全く間違いかのように映った。
やるべきは0から1や、未完成なものに自分なりの価値を見出すことだろう。
そうやって自分に向き合うほど、単位とかいう大学生にとって「一番大事」なものにあっという間に置いていかれていく。
そんなどん底が見えたとき
変化や選択をする時間が訪れるときに「生きている」を感じてしまう。「なんかうまくいっている」時にはない、ワクワクとは決して違う心臓がキュンとするような絶望感と「なにになってやろうか」と尖る心。
『リボルバー』
そんなアツい中、原田マハ氏著作『リボルバー』を読んだ。いつになく穏やかに座って。
そして思う、私は苦労人が好きだ。
好きな画家はいつも、生前に売れていようが売れていなかろうが、不幸な環境で変化し続けた偉人だ。はたから見るとゴッホやゴーギャンは世界中で誰もが知る、輝かしい有名人だ。
だが実際はどうだろう。ゴッホは唯一の理解者であり続けた弟テオに金銭的補助を受け、晩年を孤独にボロボロの部屋で過ごした。何処にいても制作に没頭し続けた絵が売れたことなど、ほとんどなかった。ひまわりのように同じ方向、太陽のように眩しい夢に向う仲間としてゴーギャンと過ごした時間も長くは続かず。仲違い、傷心の末左耳を切り落としたと言われているのは有名な話だ。
個展を開くことを夢として抱えたままリボルバーで自らを打ち抜いた。
「苦労してるからあなたが好き」だなんて無責任なこと、ゴッホ本人を目の前にしたならば口が裂けても言えない。それに、もし同じ時代に生きていたとしたら作品ではなく、彼の様子から当時多くの人がそうだったように変な奴だと煙たがったかもしれない。
だからこそもういない人間の人生を覗き込んで想像する。さっきまでそこにいた知り合いの話をするかのように人に話す、文字にする。
どんな偉人だって我々と同じ人間。
逃げてなんぼだ。分かってもらえなくてなんぼだ。
ただ、この気持ちを残しておきたかった。
みんなnote書こや。