【365日のわたしたち。】 2022年5月2日( 月)
忘れた頃に思い出す。
近所に、鯉のぼりが飾ってあった。
5月の、暖かくも少しひやっとした空気の中を、悠々と泳いでいる。
風がやむと、急に力を無くしたかのように萎み、また風が吹けば泳ぎ始める。
子供の頃、実家はマンションで、鯉のぼりなんて飾れるスペースはどこにもなかった。
しかし、近所の鯉のぼりに触発され、鯉のぼりを家に飾りたいと泣き叫ぶ私を見た父が、
「よし、一緒に鯉のぼりを飾ろう!」と言い出したのだ。
家を飛び出した父はしばらくすると戻ってきて、その腕に大きな箱を抱えていた。
開けてみると、そこには目にも鮮やかな布が収まっていた。
好奇心からスッとその布を撫でてみる。
ツルッツルで、滑り心地が良い、ひんやりとした布だった。
これが、僕が自分の鯉のぼりと初めて出会った時の記憶だ。
そこからお父さんはベランダに鯉のぼりを飾るための棒を設置し始めた。
悪戦苦闘する父を、私と母は「頑張れー」と家の中から応援していた記憶が、うっすらと頭の中に残っている。
やっとのことで固定できた棒に、父は鯉のぼりを設置し始めた。
ずるずるとベランダに引き摺られていった布は、まさに水に飢えた魚のようだった。
鯉のぼりだから、風に飢えていたが正しいのかな。
10数分後、父はやっと一匹の鯉のぼりをつけ終わった。
風にバサバサと靡くお父さん鯉は、近所に飾ってあった立派な鯉のぼりとは似ても似つかなかった。
さらに悲しいことに、うちのベランダでは、もう他の二匹を飾るスペースなどどこにもなかった。
父はどこか悔しい顔をしていたけれど、汗だくで「これでもいいか?」と僕に確認してきた。
幼心に、これ以上のわがままはダメだと悟ったのか、「うん!ありがとう!」と僕は笑顔で答えたはずだ。
そして、父と母と僕の三人で、家の中から鯉のぼりが風に靡いているのを眺めた。
「あ!今、泳いだね!」
「うんうん、鯉の形になってた!」
そんな風なことを話していたと思う。
次の日、マンションの管理会社から「ベランダの鯉のぼりをすぐに撤去するように」とお叱りがきたのは、言うまでもない。
父は静かにベランダから鯉のぼりを外していた。
その姿がなんだかとても寂しくて、僕は父に話しかけることはできなかったけれど、その時に「お父さんは世界一のお父さんだ!」と確信した気がする。
最近は、大きな鯉のぼりを飾っている家も少なくなったように思う。
だから今日、久しぶりに立派な鯉のぼりを目にすることができて、とても懐かしい気持ちになったんだ。
数年前に父はこの世を去ったけれど、僕にとっては最高の父だったな、と今でも思う。
突拍子もなくて、素直で、そしてまっすぐだ。
空を見上げると、黒いお父さん鯉が、赤のお母さん鯉と青い子供とともに、なんとも気持ちよさそうに空を泳いでいるのだった。