【365日のわたしたち。】 2022年3月25日(金)
流さなかった涙はどこにいくのか。
誰か教えて欲しい。
あの日、父は母の冷たくなった身体を目の前にしても、涙を流さなかった。
僕と妹が大泣きしている後ろで、ただじっと母を眺めていた。
「そろそろ...」
そう看護師さんに促された僕と妹は、看護師さんに支えてもらいながらなんとか病室から廊下へ出ようとした。
ふと横目をやると、父はまだ母のベッドの隣に立っていた。
父はゆっくりと手を伸ばし、母の冷たくなった小指と指切りをした。
そしてすぐに離し、僕たちの後を追って廊下に出てきた。
3日後の葬式でも、父は一切涙を流さなかった。
そんな父の姿を見ていると、やっぱり父は強いな、と思う一方で、そんなに悲しくないのかな、という疑心暗鬼な思いも時々頭の中にチラついた。
あれからおよそ10ヶ月経った。
僕はこの春から大学に進学し、実家を離れる。
母が亡くなった頃には、実家から通える近くの大学へ志望変更しようかとも思ったけれど、
「母さんはそんなこと望んでないよ」
と、父は僕の背中を押した。
そして今日、僕は家を出る。
妹は学校へ出発する前に、
「ちゃんと食べなよ? あと、時々は帰ってきなよ。」
とだけ言って登校していった。
父さんが駅まで車で送ることを提案してくれたけど、父も出勤だったので丁重に断った。
家を出発する時、靴紐を結びながら、後ろに立つ父さんに問いかけた。
「父さんって、母さんが死んだ時泣かなかったよね。」
「...そうだったか?」
「うん、そうだった。だから俺、父さんはつえぇなって思いながら、母さん死んでも悲しくないのかな?って疑うこともあった。」
「...そうか。」
「本当はどうだったの?こんな機会もないから、最後に教えてよ。」
「母さんとの約束を守っただけだよ。笑って見送って欲しいって。
さすがに笑えはしなかったけどな。」
そう話す父は、どこか空を見つめていた。
母さんは残酷だな、と思った。
母との約束を律儀に守ろうとする父さんは、なんだか自分より何十歳も年上の大人とは思えなくて、なんだか言われたことを必死に守る小さな子供のように見えて、おかしいけれど、抱きしめてあげたいような不思議な感情を抱いた。
流れなかった涙は、どこに行くのだろう。
流れなかった父さんの涙が、どうか母さんの元に届いていて欲しい。
母さん、父さんは約束を守ったよ。