【365日のわたしたち。】 2022年4月14日(木)
「春の雨は好きなの。」
そう言った彼女のことを思い出す。
もう30年近く前なのか。
彼女と俺は、大学の同級生だった。
学部は違ったけれど、軽音サークルで出会った俺たちは、同じベース志望だったこともあり、自然と一緒にいる時間も長くなり、どんどんと仲良くなっていった。
最初は恋愛感情なんてお互いに全くなく、お互いの家を行き来しては、ベースがかっこいい曲のカセットを貸し借りし合っていた。
それがいつからなのか。
暇つぶしみたいに男女の関係になっていったのだった。
付き合っている、という真面目な表現は、あまり似合わないような二人の関係。
お互いにそう思っていたのだろう、周りの友人たちにも自分達の関係のことを話すことはなかった。
その日も、昼前まで俺の部屋で寝過ごし、そろそろ起きるか、とベッドの中でまどろんでいる時だった。
不意に彼女がカラカラ、と開けた窓から、シトシトと雨が降る音が流れ込んできた。
「雨降ってんの…?」
「うん、降ってる。」
「うわ、学校行きたくねぇ…。」
そう言って俺は、窓側に背を向けるように寝返りを打った。
彼女の姿は見えなかったけれど、きっと窓の隙間から外を眺めているんだろうな、というのが、なんとなく伝わってきた。
しばらくの沈黙の後、彼女が言ったのだ。
「私、春の雨は好きなの。」
あ、そう。
そう返事をして流す、いつもと同じような会話だ。
そう思った。
それからどうしたか、はっきりとは覚えていないけれど、お互いに学校へ行く準備を済ませ、少しだけ彼女が早めに家を出たはずだ。
雨降ってるから、傘持ってっていいよ。
そう言った俺の言葉に反して、彼女は傘を持って行っていないことに、俺は自分が家を出る直前で気がついた。
春の雨は好きだって言ってたし、濡れたかったんかな?
と、なんとか自分の中で理由をつけて、俺は学校へと向かった。
彼女とは、それ以来になってしまった。
サークルにも来なくなり、学校ですれ違うこともなくなった。
サークル長に聞いてみると、大学を辞めるからサークルも抜ける、と少し前に話があったらしい。
「お前に話してなかったなんてな。仲良いから知ってるのかと思ってたよ。まぁ、仲良いから言えなかったんかな。」
サークル長は、そう気を遣ってくれた。
俺たちは仲が良かったんだろうか。
ただその時、その瞬間の居心地の良さを、お互いに貪りあっただけの関係だったんじゃないのか?
だから彼女は、俺との時間が居心地が悪くなった瞬間に、どこかへ消えてしまったんじゃないのか?
彼女の存在は、若い俺の中で、小さな傷として残り続けた。
「私も。春の雨って、なんか憂鬱で嫌いなんだよねぇ。」
斜め前の女性社員が、隣の社員にそう話していた。
そうか、この二人の会話を、無意識のうちに聞いていたのか。
久しぶりに彼女のことを思い出したのは、不意に耳にした「春の雨」というキーワード。
後ろの窓に目を向けると、シトシトと降る雨が、窓に当たっては流れ落ちていく。
今日、あの彼女は、どこかでこの雨を眺めているのだろうか。
答えのない思い出を、脳の片隅で少しだけ噛み締めた。