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【365日のわたしたち。】 2022年3月29日(火)
「あーーーーーー、疲れたぁ!眠い、眠いけど気持ち悪い!」
そう言って同居人が玄関に倒れ込んできた。
「おかえりー。水飲む?」
「飲むぅ。」
そう返事はしながらも、今にも寝そうだ。
4年前に上京してきた俺は、ここ東京でホストとして働き始め、この部屋に数人の新米ホストと共同生活をしている。
ホストというと、なんだか闇深いイメージを持たれることも多いし、順位争いやいじめ、女に貢がせる、といった黒い印象を持つ人も多いと思う。
順位争いはまぁ仕事なのでもちろんある。
でも普通の会社にもある営業成績みたいなものだと思うと、どこの会社も一緒なんじゃん?と思う。
女に貢がせる、といった言い方は提供側からすると不服だが、サービスに納得して金額をお支払いしてくれる女性がいる、というだけだ。
ビジネスだ。
どんな仕事でも、当人同士が納得すれば、それはビジネスとして成立するということだ。
失礼ながら、会いに行けるアイドルと同じだと自負している。
いじめは、ありがたいことにうちのホストクラブはなかった。
仲が悪いホスト同士はいたりするけれど、喧嘩やいじめが発覚すれば(あるいはそういう噂が出たら)即クビというオーナーの絶対命令が今のところ功を奏しているおかげで、当人同士が距離を保つといった方法で平和が維持されている状態だ。
ただ、お酒を飲む、飲みまくる、ただひたすらに明け方まで飲む、という仕事ではあるので、しんどいはしんどい。
身体や心を壊して辞めていくホストも、この4年で数人は見送っている。
過酷な仕事だとは思う。
「お前今日も出勤だよな?早く布団いって寝てこい。起きられなくなるぞ」
「そうするわ...」
「シャワーは酒抜けてから浴びろよ?今誰もいねぇし、俺も出かけるから倒れても誰も助けらんねぇぞ」
「うぃ...」
そういって同居人は奥の部屋にずるずると消えていった。
渡した水はそのまま玄関に残されていた。
4年いて、俺の最高順位は11位だった。
ここ2年くらいは年々順位を下げている。
昔指名してくれていたお客さんにも若手にシフトしている人が何人かいるし、何人かは来なくなった。
引き際、か。
人が見れば、たった4年かもしれない。
されど4年。
俺の4年間の重さは、俺にしかわからない。
ふと2年前に付いたお客さんのことを思い出した。
その人は、俺に初めて10万円のボトルを入れてくれた人だった。
「めっちゃ嬉しいっす。10万円のボトルなんて初めてで」
そうはしゃぐ俺に彼女はこう言った。
「君は、次に私がここにくる時にはもういなさそうだから。なんか餞別みたいなものだと思って?もし次来た時にいたら、100万円入れてあげるよ。でも、君にはそうであってほしくないなぁ」
その時は、ホストとしてのプライドをひどく傷つけられた気がした。
その言葉への反発心もあって、この2年を頑張ってきた。
しかし今日まで、彼女が店に来ることはなかった。
「俺の未来を、俺以上に見越してたんかなぁ」
苦笑してしまった。
俺は店に渡す履歴書を作る時に使った封筒と便箋を探すため、押し入れに入れた自分の荷物を漁った。
部屋には酒くささやタバコの匂いが染み付いていた。
そんな部屋にも、少し空いた窓から春の匂いが吹き込んでいた。