早大放送研究会・会史(第一部)1946〜1959年
早稲田大学放送研究会が創部したのは、戦後1年が経った1946(昭和21)年初夏です。
構内に赤煉瓦の残骸が残る中、殺伐な空気を少しでも和やかにするため広場に音楽でも流そうと、文学部(現在の教育学部)地下に放送室を設けて、大隈銅像にスピーカーをぶらさげて校内放送をしたのが始まりでした。
目下、放研の歴史を纏めつつありますが、とりあえず第一段階として、1946(昭和21)年~1959(昭和34)年までの歩みを、「早大放送研究会・会史」(第一部)」に暫定版として纏めました。この