タスク管理の「管理する」とは

前回の記事で、タスク管理にとって生産性は付加価値でしかなく、文字どおり「タスクを管理する」こと本来の価値、総和としてのタスク管理を考えていきたいことで締めくくった。

今回は「タスクを管理する」に残る「管理する」部分に焦点を当てて考える。「管理する」とはなんだろうか。ここで「管理する」は「ある任意の定めに沿うようにする」ことだと措定する。

「任意」というのがポイントだ。「管理」と聞くとどうしても「管理される」という使役的な意味に捉えてしまう。おそらく人として生きている間、管理されている期間が若い年代であり、またその期間が長く刷り込みされるからだと思う。

管理するときには「何」を「どのように」かを自分が考える必要がある。何を「任意の定め」とし、どのように「沿うようにする」のか。最初は任意に定めたものがいつの間にか固定したものにすり替わっていることがある。どのように「沿うようにする」のかを他からの「こうするとよい」という手法を知ったことで、自分が任意に手法を採っていることを忘れてしまうこともある。

管理するのは誰かからの予め決まった定めに沿うだけではない。特にタスクを管理するような自分の意思・意志が深く関わっているときの「管理する」には、注意が必要だ。

いったい誰からの定めに沿っているのか。教えを乞うために誰かの定めを一時的に使ってみるのは有用だ。しかし、自分を含む誰かの定めが自身への歪みを生み出すのであれば、状況に合わせて任意に定めを変化させていくことが総和としてのタスク管理である。




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