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喇叭亭馬龍丑。日記「マウスピースが教えてくれること」「バイブス?VIBESだろ?」8/16(金)〜8/17(土)

2024.8.16(金)

「マウスピースが教えてくれること」

 色々とマウスピースを試して思うことは、それぞれのマウスピースが今の自分に足りない部分を否応なく強烈に教えてくれる、ということ。

 買ったり、売ったり、借りたりして感じるのは「この点は良いんだけど、ここがちょっとな…」という【何かを得ると何かを失う】という中国古代五行補瀉論的な世界観。

 そういう意味ではマウスピースは実に人間くさい。

 ただ逆に学びの機会でもある。低音が出しづらいマウスピースからは、低音切り替えの方法を学び、高音が出しづらいマウスピースからは、高音を出す為の身体の使い方を学ぶ。そうやって一つ一つ身につけていく訳だから、マウスピース代は高くない。…と思いたい。

 村上“馬龍丑。”春樹的には「完璧なマウスピースは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」と言いたい。『マウスピースの歌を聴け』ってところだ。

 そろそろ沼から上がろう。底なしのマウスピース沼から。

2024.8.17(土)

「バイブス?VIBESだろ?」

 (ビアノ等の鍵盤楽器で)視覚的に見える半音の距離はとても狭いのに、管楽器に於ける半音の幅はあまりにも広い。イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡くらいの距離がある。(地図上に於ける視覚的距離は狭いが、実際泳いで渡ろうとするととんでもなく広い、という卓抜&秀抜な比喩だ!!!!)

*

 仕事の合間に時間潰しで本屋へ行く。久々にダラダラとあちこちのコーナーを覗いていると、一冊の雑誌に目が留まった。『VIBES』。ハーレーの為の専門雑誌であり、高校時代は『Hot Bike Japan』と共に毎月の愛読書の一つだった雑誌。(更にもう一冊は『実話ナックルズ』だ)

「…懐かしいな。まだ出てたんだ」、なんていう自分から離れたくせに身勝手な感想と共にページをめくる。カスタムされたハーレーと旅、がメインのこの雑誌、巻頭記事は相変わらずそのポリシーのままで安心する。そもそも、表紙も「カスタムハーレーと美女」という組み合わせで継続されていて、「うむ。これぞ『VIBES』だ」と。

 で、「どれどれ…」と真ん中辺りのページを開く。表紙に使われているハーレーの詳細なグラビアが載っているあたりである。これも健在。あらゆるポーズでそこに絡む美女、という図もそのまま。「良いね。『VIBES』だ!『VIBES』読んでるって感じだ」とページをめくる。ページをめくる。ページをめくる。…あれ?そのグラビアの特集ページが終わった。

 …おかしい。こんなの『VIBES』じゃない。『VIBES』といえば、バイクとヌードでしょ?服着てるやん。いやいや、おかしい。これは『VIBES』ではないのか?と改めて表紙を見るが『VIBES』と書いてある。

 …どゆこと?

 雑誌から離れていた二十年くらいの間にコンプラが徹底され、ヌードページは無くなってしまったのか。「『VIBES』といえばバイクとヌード」みたいなことを編集長自身が言っていた記憶があるぞ。

 いや別にヌードが見たい訳じゃない。ヌード見たければこの時代、ネット開けば良いし。それに高校生だったあの頃もヌードグラビア見て、興奮することもなかった。(ちょっとはあった)

 むしろ、親の目が気になって、雑誌の置き場所に困ったくらいだ。

 でも…。

 「バイクに跨がる美女」という図式は米国ハーレー雑誌からの伝統ではないのか?いやもう伝統とか云々言う時代ではなく、フェミニズム的な権利的な何かの問題なのか?時代か?

 読む楽しみの一つであった編集後記を見ると、あの頃の執筆陣がまだまだ健在。なんだか安心して雑誌を置いた。いや、買わんのかい!と言われましても…。


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