短編317.『オーバー阿佐ヶ谷』17
17.
冬物のパンツのポケットから発見したチラシの皺を伸ばしながら高架下を荻窪方面に歩く。なんというか、センスの感じられない古くさいデザインだった。古さも一周回ればレトロに化けるが、このフライヤーのデザインはただただ古いだけだった。1970年代辺りのチラシをそのまま持ってきたかのように紙の上で時が止まって見えた。見ようによっては「これぞ演劇!」という気もするが、そう見る為にはまず両目にタバスコを撃ち込んでから、度の合わない眼鏡を掛けさせるしかない。
ーーーしかし何故、ラッパーの私がこんな小劇団のチラシを眺める羽目になっているのだろう。まさか劇団のオーディションを受けに行く訳でもあるまいに。
今やっていることなんて、ラッパーというよりは1940年代のパルプフィクションに出てくる探偵そのまんまじゃないか。殺人事件や謎の捜索。小説界の主流から外れたアンダーグラウンド。二十一世紀に今更、そんなことをなぞっているなんて。かの日の私立探偵とラッパー、唯一の違いがあるとすれば、トレンチコートではなく”ペレペレ”のセットアップを着ていることくらいだ。今に繋がるそもそもの発端は何だったか。
その答えは、人類の起源をDNAにまで遡って探すよりは簡単に見つかるものだった。酔っていたとはいえ、大雑把に言えば昨日のことなのだから。
【怪物を探し出して『俺をここから救ってください』と言うことで成功への道は開かれる】
要約すればそういうことだ。そしてそれを私に教えた演出家の男は殺された。このチラシは怪物にまで続くワインディングロードなのかもしれない。そしてその道の先にはウイニングロードが続いている。私はフライヤーのシワを丁寧に伸ばした。
極論、『怪物が何者なのか』、『演出家の男を殺したのは誰なのか』、なんてことはどうだって良い問題だ。前者は学者の仕事であり、後者は警察の管轄だ。怪物の生態系になど興味はないし、演出家の男は別に私のブラザーでもなければ、ホーミーでもないのだから。演出家がどのように殺されようと、怪物を間に挟んだ東西海岸の抗争など起きやしない。しめやかに葬送が執り行われるだけだ。
私はただ怪物を探し出して一、二発殴ってから『さっさと俺を救いやがれマザファカ』と言えばいい。もしその怪物とやらが雌だったなら二、三発ぶち込んでやっても良い。それで結果がより良くなるのなら。
ーーーそうだった。目的はひとつだ。
その為の第一歩としての怪物の居場所探し。だから、今こうして(先ごろ死んだ演出家の)稽古場を訪ねることにしているのだ。あの口の軽い演出家のことだ。きっと劇団員の誰彼構わず怪物の話をしていると踏んでいる。
小劇場演劇には詳しくないが、自前の稽古場を持っている団体というのはあるいは凄いことなのではなかろうか、と思い始めていた道すがら。この私ですら自前のスタジオなんて持っていない。MacBookの中に設えたクラウド上の居場所があるだけだった。
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青梅街道を横断すれば、目指す建物は目と鼻の先だった。ネズミ捕りの為に、大通りの死角に隠れた白バイ隊員すら愛おしく思えた。
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