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短編319.『オーバー阿佐ヶ谷』19

19.

 出来るだけゆっくり歩んだ。それこそいかにも大物がやって来た、という風に。私は座の中心に立ち、ゆっくりと一周した。そこには若い顔から老け面まで五者五様の顔があった。勿論、誰一人として知る者はいない。それは勿論、向こうも同じだろう。

 そこにはただ沈黙だけがあった。換気扇の音だけが室内を支配している。『沈黙』という皿を廻す”DJ 換気扇”はなかなかchillなミュージックがお好きらしい。遠藤周作の描き出した神の沈黙もここまで静かなことは想定してないだろう。

 さっきとは逆回りで、また一周した。先程より見知った顔があった。それは数秒前に見た顔だった。向こうも多分、そう思ったことだろう。もしくは「こいつグルグル回ってるけど、一体何してんだ?」ってとこだろう。当然の疑問だ,Bro.。

「何の御用でしょうか」一番年寄りじみた奴が口を開いた。「どこかのフロアと間違えておいでではありませんか?」
「もし何かを間違えているのだとしたら」私は溜め息をついた。「君たちの演出家から怪物の話を聞いてしまったことだろうな」
 全員の顔に疑問符が浮かんだ。
「刑事さんか何かですか?」
「いや、俺はラッパー」
 全員の頭の上に浮かぶ疑問符が更に大きくなるのが分かった。

「うちの主催とお知り合いの方で?」
「飲み友達、というほどの仲でもないけどな」
 皆の顔に少しだけ安堵の色が広がった。しかし、それは年寄り劇団員の次の一言でまた曇ってしまった。
「もし主催に貸したお酒代の取り立てでしたら他をあたって貰えませんか。残念ですが主催はーーー」
「知ってるよ。多分、主催?とやらと最後に言葉を交わしたのは私だ。おそらく犯人を除けば、ということであれば」
「あぁ、なんということでしょう」芝居じみた台詞が年寄りの口から漏れる。涙でも流さんばかりの迫真さで私の手を握った。「わざわざ来て頂いてありがとうございます」
「お礼を言われる筋合いはないぜ、doggs。別の用件で来たんだ」
「香典でも持ってきてくてくれはったんですか?」
 中年の域に足を踏み入れ、この先の人生に迷っていそうな女の劇団員が弾む声で言った。
「死者に渡す飲み代があるくらいなら自分で使うさ」私に向けられた強欲な視線を手で制する。「そして別にこの中で犯人探しをしようというんじゃない。安心して話してくれていい」

 一人一人を別々に壁際へと連れて行き、話を聞くことにした。背中に突き刺さる他の劇団員の視線に耐えながら。

 ーーー要約すれば以下の様になる。

          *

 劇団員Aの証言。
「怪物?知らないっすねー」

 劇団員Bの証言。
「怪物…ですか。ふむ、それは次の芝居の話かなんかでしょうかね?」

 劇団員Cの証言
「怪物の話なんか聞いたことなんて無いです。何度かベッドに誘われはしましたけど」

 劇団員Dの証言。
「我々にとっては演出家の死も痛ましいが、次の舞台の集客状況の方が痛ましい」

 劇団員Eの証言。
「それより主催に貸した三万円、戻ってくるんやろか。香典からでも良いから回収したいわぁ」

          *

 演出家の醜聞も多少は覚悟の上で尋ねたのだが、逆に良い思い出話など一つも出てこなかった。ーーーあいつ、何なんだ。



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