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短編35.『音の出ないギター(後編)』

 翌朝、老人は冷たくなっていた。死亡診断書を書いた医師によると、だいぶ心臓が弱っていたらしい。恒常的に吸っていた煙草のせいだろう、と云う。常日頃の習慣こそ死神である。ただ、全ては天秤だ。吊り合いが取れていれば他人が口を挟むことでもない。

 施設にあって死は慌ただしく処理される。そこには元から何も無かったかのように。柔らかな涙は誰か別の者の為に取っておかれ、乾いた実務的な作業がそれを代替する。それは次の入居者の為であり、この世界を取り仕切る資本の為でもある。資本の前ではどんな死も数値に変わらない。

 シーツ類はクリーニングされ、着ていた衣服は処分された。最期に見た老人の座っていた椅子と冷たい身体を横たえたベッドはアルコールで拭き清められた。老人にとってはせめてもの弔いとなったことだろう。

 遺品整理の折、改めて老人の入所書類に目を通した。大抵は空欄で済まされる職業欄の項目には【ミュージシャン】と書いてあった。定年など無いのだろう。ひと線ひと線が丁寧に引かれた端正な文字列だった。

 ミュージシャンなんて『アリとキリギリス』で喩えれば、まごうことなくキリギリスだ。キリギリスは最期に何を見たのだろう。何を想って身に積もる雪を眺めていたのだろうか。そこにはキリギリスなりの矜持や諦観があったのかもしれない。アリ、が幸せの全てではないはずだ。

 退勤時、私は老人の部屋に一つ遺されたギターケースを掴むと、誰に何も言わず、そのまま家へと帰った。

          *

「…とまぁ、それが私とこのギターの出会いなんだけどね」

 『ギターマガジン』誌のインタビュアーは録音機材のスイッチを止め、写真を何枚か撮った。指示された方向に目線を向け、膝にギターを乗せる。

 あれからどれくらいの歳月が経ったのだろう。髪の毛に白いものが混じるようになったことを思えば、老人と出会う前の人生より後半生の方が長いような気がする。

 ーーーまさか自分にこんな人生が待ち受けていようとは。

 夢でも見ているかのようだ。人前で演奏することも、アルバムを発売し、こうして雑誌のインタビューを受けたり、ツアーで各地に赴くことすらも。全てが夢で、目を覚ませば見慣れた施設の天井。また介護士としての慌ただしい日常に戻るような気がしている。いつだって。

 老人の云う”マジック”の意味は今以て分からない。ただ、もしかするともう”それ”に魅入られてしまっているのかもしれない。そんな気はする。

          *

 数ヶ月後、出版された『ギターマガジン』を手に取った。膝にギターを抱え、遠くを見据えるその姿は、最期に見た老人そっくりだった。

 
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