短編127.『倶利伽羅竜王図』
男の背中に彫られた刺青には不思議な吸引力があった。まるでダイソン。ふざけていると思われるのは心外なので求訴力、と言い換えさせて頂く。
*
男が銭湯の”のれん”をくぐった時から、注視はしていた。
ーーーこの男は彫っている。
予感があった。番台に座った私は掃除という名目でアルバイトにその役を譲った。モップを持ち、男の後をついて男湯に入った。
昨今の銭湯業界の決まりとして【入れ墨のある方お断り】が通例だ。サウナブームも相まって、一見さんも多数来店(来湯?)している。ここで彫り物のある客を受け入れてしまうと、せっかくの集客ラッシュが途絶えてしまう恐れがある。『祝・百周年』イベントも間近だった。サウナ雑誌に出した広告費も無駄になってしまう。
男はロッカーの前に立ち、上着を脱いだ。
からくりもんもん、という古風な言葉がぴたりとはまる見事なまでの倶利伽羅竜王だった。
見まいとしても見てしまうのが入れ墨の持つ恐ろしさだが、その中でも飛び抜けて目に突き刺さるような墨の青だった。
ーーーそれがどんな彫り物であっても、覚悟と痛みを伴って入れたんだ。それを『お断り』なんて差別、違うんじゃねぇかな。
私から数えて先々代・初代当主の言葉が蘇る。江戸っ子なりの見栄と粋。ただ、もうそんな時代じゃなかった。現・当主として見逃す訳にはいかない。しかしーーー。
見事だった。
「お客さん」
身の丈一九〇センチはあろうかという大男。私は見下ろされる形となった。
「あの…すごい入れ墨ですね」
「この彫りモンか?」と男は言った。慣れているのだろう。柔和な口調だった。「よく彫ってあるだろ」
「はぁ。まぁ」ここで萎縮してはならない。そう思えど、身体という自然に属する部分は正直だった。百獣の王を前にした兎。まるでそんな。下半身の方で何かが縮み上がった。
「見たいなら見せてやるよ。ホラよく見ろ」男はあらゆる角度に身体を捻った。筋肉が隆起し、竜王は吠え猛るが如く。…だった。
「これはな」暫くののち男は口を開いた。「俺の友達が彫ったんだ」
「…へぇ」我ながら情けない受け答え。ーーーお客さん、ウチは入れ墨お断りだよ!さっさと服着て出てってくんな!威勢のいい言葉は身体の中で反響しただけだった。
「友達の最期の作品なんだ」
話が変わってきた。単なる自慢話ではなさそうな流れ。まぁそれくらいは聞いてやってもいいだろう。権限は私にある。たぶん。
「あいつとは小中と一緒だったよ。俺は道を踏み外し、あいつは立派に彫師になった。世間じゃ彫師は立派な職業には入らないのか。そんなことどうでもいい。手に職を持ってそれで生きていたんだ。充分、立派だよ」
一人語りは続く。私は講談を聴きに来た客のような気分でそこにいた。
「ーーーあいつはちゃんとやってる。それは誇りだったよ。暗闇でもがく俺にとっての”道しるべ”だった、と言ってもいい」男はそこで言葉を切った。断然、という言葉が似合う切り方だった。まるで日本刀で真っ二つにしたような。その断然の前と後では物事のありようが一八〇度変わってしまう。そんな切断の仕方で。「ある日」
「電話がかかってきてな。あいつにしては酷く弱々しい声だったよ。いつもなら『よぉ!どうしてる』から始まる挨拶も抜きにあいつは話し始めた」
「癌、なんだとさ」
「せっかく構えたスタジオも畳んで、ホスピスに入る。ってな」
この世の哀しみを凝縮させたスリーコンボ。先日、癌で死んだ先代の顔が頭をよぎる。
「久しぶりに会ったあいつは痩せ細ってたよ。腕が小枝みたいになっててさ」
男は腕をさすった。まるでそこに友人の腕があるかのように。
「だから言ってやったよ。”らしく”ねぇじゃねぇかっ、てさ。でも、寂しく笑うだけだったね」
無言。脱衣所には誰もいない。時折、水滴の垂れる音だけが聞こえる。私は続きが聞きたくて仕方なかった。
「素人目に見ても長くないことは分かった。だけど、こいつがこのまま俺の前から永遠に消えてしまうことが無性に腹立たしかった。『彫れ』って言った。『俺に彫れ』と」
ーーー。
「そこから俺とあいつの最期の日々が始まった。実際は、決して綺麗な思い出ばかりじゃないけどな。でも、友情の確認作業って感じで俺には心地が良かったね」
ーーー。
「完成まであと一歩ってところであいつは死んだ。だからほら」男は腕を上げた。右脇の下には色の入っていない部分があった。「ここは俺が死んだ後、仕上げてもらうつもりだ」
ーーー。
「俺は不動産屋でな。あいつにスタジオを貸してたのもウチの会社なんだ。さっき最後の点検に行ってきたよ。がらんとして何もない単なる箱になってた。よく広告で見るだろ?初期設定そのまんまって感じの部屋を。あんな感じだよ」
ーーー。
「しかしまぁなんだな。一か月前まで確かにいた奴がそこにはもういない。それって不思議な気持ちがするもんだよな」
ーーーそうですよね。
*
今、当銭湯の入り口には【入れ墨は文化だ!】と殴り書きした半紙が貼ってある。
ーーー人に歴史あり。
だと思っている。
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