短編269.『丑の刻に見たもの』
何かを打ちつける音が聞こえた。こんな真夜中に。丑の刻、正確に言えば午前二時を少し過ぎたあたりだった。場所は線路沿いの神社の前、人通りは既に無かった。私はトランペットの入ったバッグを肩に掛け直し、音の出どころに耳を澄ませた。
そんな音のことなど無視して家路を急げば良かったのだが、ライブ帰りで気が大きくなっていたのかもしれない。今日は人の入りが良かった。投げ銭は懐を潤し、それが故に肝臓も潤った。まぁ肝臓はいつでも潤っている。最高の夜も最低の夜だって。
コーン。コーン。コーン。
音は断続的に鳴っている。まさかこんな時間に祭囃子の練習でもあるまい。
コーン。コーン。コーン。
これは…B♭だろうか。鍵盤で言えば、右寄りの音程。ふむ、リズム感も悪くない。これを土台に何か吹けと言われれば、スローブルーズを演りたくなるBPMだ。ーーー職業病だな。そんなことが分かったところで何にもなりゃしない。
コーン。コーン。コーン。
神社の石段の中腹あたり、右の茂みから聞こえる。私の足は吸い込まれるようにして音の方へ向かった。
コーン。コーン。コーン。
暗闇の中に仄かな灯りが照っている。それは揺めき、朧げだった。
コーン。コーン。コーン。
この距離まで近づくと、打ちつける音の陰から、何かしら呟きのようなものも聞こえてくる。打ちつける音に比べれば遥かに小さかったが、鍛え上げたミュージシャンの耳を舐めて貰っては困る。合間合間で声は不規則に高くなった。
コーン。コーン。コーン。
ーーー嘘だろ。今は令和だぜ?
そこにいたのは白装束に身を包んだ人間だった。頭に巻いた二本の蝋燭が鬼の角のようだ。そいつは大木に向かって一心不乱にハンマーを振りかざしていた。
コーン。コーン。コーン。
ーーーどんだけ打つねん!
と突っ込みたくなるほど、音は執拗に続いていた。非力過ぎて釘が刺さらないのだろうか。いや、藁人形を介した呪う相手を痛ぶるように打ちつけているだけなのかもしれない。その執拗さが怖かった。
コーン。コーン。コーン。
幼い頃に読んだ怪談の本が蘇る。そういえば確か、丑の刻参りをしているところを人に見られたら、その呪いは自分に降りかかってくるんじゃなかったか。だとすると、目の前で長い髪を振り乱しながら釘を打ちつけるこの人間は自分に向けて呪いをかけていることになる。そうとも知らずに。なんだか哀れに思えてきた。だから、教えてあげることにした。私の中の善意がそうさせた。
コーン。コーン。コーン。
「あのさ」
コーン。コッ。
音は唐突に止まった。多分、向こうも結構な驚きだろうと思う。肩がビクッと震えた。こんな真夜中にこんな茂みの中で声を掛けられるなんて恐怖以外のなにものでもない。ましてや相手は女だ。申し訳ない気持ちと「あっ、別に変な気は無いんですよ、ホントに」を全面に出しながら、優しく声を掛けた。
「頭に蝋燭ぶっ刺すのって怖くない?短くなったら髪の毛焦がしそうだし」なるべく楽しげな話題を出すように心がけた。
そいつはゆっくりと振り返った。世界中にWi-Fi飛び交うこんな時代に、江戸期に流行ったような周回遅れの呪いに頼るくらいだ、どんな化け物が面を見せるのかちょっと楽しみだった。
「見ーたーなー」とそいつは言った。ーーーあっ。本当にそういうこと言うんだ、と思った。人は切羽詰まるとテンプレに走るものらしい。
案外、可愛かった。予想が良い方へ外れて思わず「おっ」と声が出てしまった。私の脳内では既に近場のホテルの検索が始まっていた。
「見られたからには生かしてはおけない」と、そいつは、いやそのレディは言った。ゆっくりこちらに向かってくる足取りは徐々に速くなってきた。茂みをかき分ける音が大きくなる。
ーーーそういえば、怪談本にあった”丑の刻参り”の項目にはまだ続きがあった。曰く『見つかった場合は、その見た相手を殺せばチャラ』とかなんとか。たしか?
…いや、無理があるだろ。呪いは現代では法律の外に置かれているが、殺人となれば話は別だ。遠隔で人を呪い殺す現場を見られたから、(自分が死なない保身の為に)、見た相手を殺す?全然、チャラになってない。
ーーー天秤が釣り合わない。そんなのフェアトレードとは呼べない。丑の刻参りをやる人間が不利で不憫だ。
そんなことを考えているうちに、女は目の前に迫っていた。白装束の合間に揺れる谷間。青白く浮かび上がる血管。蝋燭の朧げな灯りが照らすそれは透き通るように美しかった。ーーー蝋燭の灯りってエロいな、そう思った。
手を滑り込ませた。
*
そのような訳で私は今、強制わいせつのかどで塀の中にいる身だ。保釈金が払えなかったせいも多分にある。理不尽だとは思わないかね?少なくとも二人の命を救ったこのヒーローの私が、だ。
『七人の侍』のラストシーンが頭をよぎった。ヒーローとは哀しき宿命を背負った生き物だと思う。
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