見出し画像

詩心と詞心

(今日の投稿は、いつにも増して感覚的で、なおかつ「アヤシイ」知識で書きます。)

詩と詞の違いはどこにあるのだろう。もっと丁寧に言えば詩と歌詞の違いはどこにあるのだろう。僕は時々この問題について考えるのだけれど、答えはまったく出ない。

今日、フォローさせていただいている吉田翠さんが、以下の詩を投稿されていた。

僕はこの詩を読んだ時に、なぜだか言葉では説明できないが「とても音楽的な詩だな」と思った。そんなわけで、「きっと優しいメロディーの曲が付くように思います」とコメントさせていただいた。

たぶん、優れた詩は読み手に様々なものを想起させる。それは映像であったり静止画であったり、はたまたメロディであったりするのだろう。

さて、ここからがいつも以上に「アヤシイ」ところなのだが…というのは少しだけ中国の古典詩の世界に踏み込もうとしているから。
おぼろげな知識を辿れば、唐代では「詩」が栄華を極め、宋代では「詞」(歌謡)が栄華を極めたとされていたはずだ。そのため、「唐詩」と「宋詞」という区分された用語がある。「歌詞」の「詞」からも分かるように、「詞」には歌謡といった意味合いがあるようで。

そんなわけで、僕らの頭ではなんとなくながら「詩」と「詞」を峻別している。
でも、繰り返しになるが、それぞれの違いは?と聞かれると、正直よく分からない。形式の違い?語数の違い?長さの違い…?

ポップスと呼ばれる音楽ジャンルの曲にも、言葉だけを取り出してみても「これは『詩』だな」と思えるものは数限りなくあって、ますます「詩」と「詞」の境界は怪しくなってくる。

「詩」と「詞」、両方を生み出されている方はこの辺り、ご自身の中で何か「産み分け」をされているのだろうか。そんなことが気になるのだ。

もし何かに共感していただけたら、それだけでもとても嬉しいです。いただいたお金は、他の方の応援に使わせていただきます。