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「語学塾こもれび」さんのこと

yuuさまにご紹介いただき、東京・国分寺にあるyuuさまが設立に携わった「語学塾こもれび」のイベント、「こもれびより」にお邪魔させていただいた。

第一部「翻訳こんにゃくは不良品?」は、AIによる自動翻訳機が普及し始めた今、果たしてそれがあればコミュニケーションはすべて上手くいくのか、というテーマのお話。
フランス語の"Bon appétit"を例に、必ずしも言葉は1対1では訳せないことを教えていただいた(そのため、自動翻訳機だけでは現状、完全なコミュニケーションは難しい)。
※"Bon appétit"はある条件下では「いただきます」とも訳せるが、それに限らないということ。

第二部「頭と心、ときどき私」は、「生きるとは」「社会とは」をテーマにした大きなお話。
理性によるロゴス(論理・意味)を偏重しがちな現代において、パトス(情念)を尊重し、個々の「声」に耳を傾けること、そして「自分の言葉で語ること」の重要性について聞かせていただいた。

その後は、フリートークタイムに移行し、美味しいお菓子とコーヒーで歓談。"Bon appétit"に対して「ごちそうさま」に対する言葉はないのか…といった質問から派生し、言葉の裏にある価値観や考え方の違いなどについても教えていただけた(ちなみに、家に帰ってから中国語ネイティブの友人に聞いてみたところ、中国語でも「いただきます」「ごちそうさま」に相当する言葉はないと言っていた)。

優秀なスタッフの皆さんの姿や、通ってらっしゃる生徒さんがきちんと「自分の言葉」でストーリーを語る姿がとても印象的だった。
大人も子供も、ぜひ教えを請いたくなる、そんな素敵な語学塾が「こもれび」さんだ。

ところで、数日前に以下の投稿をした。

そして、記事の中盤でこんなことを書いた。

しかし、いざ大学に入って哲学を専攻してみると、「ん?」と思った。
当然だが、そこで行われていることの多くは「哲学すること」というよりは「哲学研究すること」だったのだ(中には、まさに『哲学する』を実践されている先生もいらっしゃった)。
様々な思想家が著した書物を紐解くのが、とても楽しかったのは事実だ。ただ、ここでなくとも「哲学する」ことはできると思い、研究の道へは進まなかった。
なにも、難しい学術用語を使う必要なんてない。そもそも、本質的な問いはいつだってシンプル。「人はなぜ生きるのか」、「そもそも、生きるとは何か」等々…。

今日こもれびのスタッフの皆さんとお話しさせていただく中で、塾長の志村さんも同じような想いを抱かれていた、ということを知って嬉しくなった。
そんなこともあり、今日のイベントの時間は私にとって大変居心地がよく、「ずっとここに居たい」と思わせるものであった。頭が良く(そしてセンスも抜群の)皆さんが集って作り上げた理想郷を垣間見た気がした。

「出会い」って本当に面白いなぁ、と改めて実感した一日でした。
今日はなんだか普通の日記のようになってしまいました。それだけ、素晴らしい一日を過ごしたということです。

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秋本 佑(Tasuku Akimoto)
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